表題に関しては、二つ乃至三つのテーマを包含する。
「真の音楽」を求め、現代における音楽ジャンル帰属意識の宗教性と、音楽の宗教的な歴史に関して論じたい。
真の音楽とは何か。
私が作った楽曲の中にはどのジャンルとも定めがたい楽曲がある。
何らかの既成のジャンルや特有の作品などに擬した楽曲だが、特定のジャンルと言い切れない。
私は、歌を混ぜない音楽を作る傾向があるから、単に楽器オンリーの楽曲を包括する「インスト(インストゥルメンタル)」と呼称できなくもないが、あまりに包括的であるから独自色に欠く。
だがまあ、音楽に歌声だとか肉声を使いたくない主義のもとにこの「インスト」という形にこだわる場合、それは何らかの派閥を形成している様相とも見られるから、一個の特定のジャンルとして捉えられなくはない。
「ジャンル」とは「宗教」であり「セクト」であり、個々の理念もとい信念に基づくからである。
個々人の音楽観には、個々人の宗教観があろう。
その中でもヘヴィメタル系は派閥(スクール・学派)主義・セクト主義が強い。
メタル自体が異ジャンルを蔑視・軽視する傾向もあり、また異ジャンル(テクノとかクラシックとか)の良いところを摂取することもあるから、多様にメタル内のジャンルが形成される。
そして互いに「俺たちが正統派で真のメタルだ!(お前たちはポーザーだ!)」、「俺たちが新しいメタルの革命家だ!(お前たちは古い・ダサイ!)」と誇っている。
特にこのセクト主義が強いと、色々思い煩うことも多いので疲れやすかろう。
各々の掲げる「メタル」という神霊を畏れ、またその神霊に背く音楽活動(異ジャンルへの気移りなど)をしてしまえば、罪業の意識か自己の理念への違背を愧じる。
各々の掲げる純粋なメタルに対する「穢れ」を混ぜてはならないという、貞操観念、衛生観念、潔癖の思想・・・。
正しく、メタラー諸氏の己心に具わる「メタル」という神霊を潜在的に奉じて畏れるメタラーとは、八百万・八万四千(これは具体的な数字ではなく単に量の多さを示す宗教用語)のメタル神霊の申し子たちであった。
この私も、己が「メタル神(デウス・メタルム "Deus Metallum")」を2014・15年にネット上で開陳したが、これは世界初のことであるから、私はメタル神の預言者を自負する。
メタルとは、異ジャンル蔑視・排除という国家神道のようであり、異ジャンル摂取という伝統的神道(列島各地の神々や異国の神や仏教を習合した)のようであり、メタル下のジャンル分裂・分派という仏教各派(いわゆる十三宗など)のようでもある。
日本の宗教性とよく似ているものと感じたが、肝心のメタラー諸氏は一人として明文化しない。
それで、冒頭の話題に戻すが、音楽に歌(歌声・歌詞・歌唱)が必要なものか、考え直す必要性を覚える。
音楽とは、そもそも宗教に発祥があるものではないか。
各地の祭祀(儀式・儀礼)や布教において神を讃える詩、神の教えを伝える詩などは多く歌われていた(神以外には先祖などの高尚な精霊・霊魂か、大自然や万物への崇拝)。
「歌」が宗教の口伝であり、文字のある文明では聖典・経典の石碑などが残る。
原始的な宗教からすでに言葉をリズムに乗せて印象付け、覚えやすくして各地に広めたり後世に残していったわけであるが、そのうえで楽器も当然誕生した(それ以前も)と見る。
現代でもアフリカや南米やアジアの部族・少数民族の楽器には、多くの名残を窺える。
簡単な打楽器や管楽器(太鼓・笛)が太古から各地にあり、後には弦楽器が2000年以上前から中国やインドにあったのではないか、と仏教の典籍・経文から披き見る。
仏典には、漢語であれパーリ語であれサンスクリット語であれ、弦楽器(琵琶など)・打楽器(鼓"つづみ"など)に関する語句が多く見られる(中東・メソポタミアにはもっと古くからあろう)。
西洋一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)においては、ヘブライ語などの歌の石碑が残り、キリスト教はミサの習慣を通じて楽器が極度に進化し、イスラム教はアカペラ重視(ナシード)と、個性的に枝分かれした。
私は断定を避ける表現をあえて連続させるが、要は知識自慢の一種である。
Wikipediaからかじった知識は書いていない。
ただし、それだけでは公開する記事として不適切に思い、一応は調査する必要があるから今にWikipediaなどを確認する。
例えば日本語版Wikipedia「弦楽器」には歴史だとかの項目がない反面、英語版Wikipedia "String instrument"は1番目の項目が"History"となっており、著しい違いを見る。
即物的な現代の日本人にはやはり、楽器という「物体・道具」に、因果だとか因縁だとかの歴史的経緯や宗教性を求めないばかりか、「痛い・イモい・古臭い・電波」という印象さえ持っているから設ける気にはならないのであろうか。
この「弦楽器」日・英の両記事のみ例に取ってそう結論すべきではないものの、私は他のあらゆる事柄も大同小異であると見ている。
件の「弦楽器」記事は、2003年9月20日の版からすでに「地域ごとの弦楽器とその大まかな歴史」という項目があり、当時は楽器名すら設けられておらず、これは2016年現在も楽器名は羅列されて項目名は残っているが、10年以上経つ今なお「大まかな歴史」なる情報は書かれていない。
ほか、日本語版Wikipedia「琴」においては、先の「2000年以上前から中国やインドに弦楽器があったのではないか・中東・メソポタミアあたりも」という仮説を上回る、興味深い考古学的な記述がみられた(「縄文琴」の節など)。
Wikipedia以外の情報に目を向けると、やはり特定の文明には紀元前2000年、などとして楽器の起源を推定する記述も見られるが、あくまでも宗教などを切り離した考古学の観点に留まる。
打楽器・管楽器など、楽器全般に関しては英語版"Prehistoric music"などを参照されたい(20000年前とか43000年前とかと推定される出土品などが例示されている)。
それはそうと、このように音楽は、宗教の祭祀の副産物であるように見える。
しかし、現代の革新的で画期的な音楽文化は何物であろうか。
これは「音楽」の名でありながら別物の概念である、と言える。
例えば、十七条憲法の「憲法」と、西洋の"Constitution"の訳語として既存語句を借りた「憲法」の相違点や、仏教・神道などの用語が日本でのキリスト教などに導入されたよう、微妙なニュアンスのようで著しい差異があると私は見ている。
人々の生活の豊かさは、西洋の産業革命、また日本をはじめとする世界中の工業化などに見られるように、合理性より急激な成長を見込んだ進歩発展思想の影響があるが、やはりそれは西洋的な思想である。
音楽にしても、西洋は、中世以後に飛躍的な発展があったが、ここに宗教との乖離を見る。
宗教から副次的に漸次進歩するという「自然性」よりも、独自の急進的な成長こそを是とする結果、音楽は西洋で著しく進歩し、それは明治以後から現代までも日本に多大な影響を与え続け、日本はことにガラパゴス性から日本ならではの個性が育まれた。
戦前より七五調の軍歌、演歌、現代では様々な歌謡曲・ポップス(J-pop)があり、東アジアや東南アジアの音楽シーン(K-pop, C-pop, その他)に多大なる影響を与えた。
上述の「メタル」であっても、日本では「メロスピ」なるジャンルの提唱と呼称の流布を始めとして、V系だとか同人系のガラパゴス的メタルが世界のマニアを魅了する。
また話を脱線させたようだが、これも私の衒学趣味や記録活動の一環として看過してほしい。
このように楽器というものは、西洋の発展的な思想において魔改造を経てきた。
その思想の影響を強く受けた日本も同調したから、任天堂などのゲーム音楽(いわゆるFC音源など)、ヤマハ・ローランドといったシンセサイザー及び電子音楽・DTM(DAW)のメーカーもこれに貢献してきて世界中にそれらは愛されている。
こう見ると、音楽および音楽性ある文化的行為は、歴史的な経緯より3つに大別されよう。
1. 祭祀や布教や王族奉仕のため、基本的な歌・声にオマケとしての楽器もある音楽(原始宗教・古代文明、昔の諸宗教、現代では鈴・木魚などを用いて読経する日本仏教や楽器嫌いのイスラム教)
2. 西洋で次第に発展した革命的な音楽(芸術革命・ルネサンスとかいう?)
3. どこまでも楽器にこだわるか楽器に依存しない、現代の自由で多様なスタイルの音楽
この3種があり、そのうち、本来的な形式で根本的な発祥を踏襲している音楽は"1"であろう。
故に、冒頭に提起した主題の結論を私が言うならば、真の音楽は"1"であるといえる。
※世界的に変なラップ系(過去記事: あんなもの)の画一化が進んでいる現代の音楽は、1の真の音楽の形式・楽曲の構成には似る。だが、それのみが似て、歌詞は浮ついたラブソングならば宗教性薄く、1の真の音楽に遠い。いな、婬楽(いんぎょう)を以て宗(むね)とする現代の時勢にあっては、ラブソングも賛美歌たり得よう。ラブソングでなければ吟遊詩人とか琵琶法師のようなものか。
私は"2"のような西洋の古典主義の流れがある楽器演奏者を嫌い、"3"の自由なスタイルの恩恵を享受して楽器を演奏できずとも、DTM・打ち込みによって作曲を楽しんでいる。
西洋の発展的な思想はあまり好まないが、これがあることで現代は音楽の極北に達して絶対的中流層(国家を問わずインターネット利用のできる環境の層)まではその音楽を聴き知っている。
当然、昔から人々が発展思想を持たなければ、それはそれで"1"の如き「自然性」の音楽だけで足りたであろう、人間の欲求満足・幸福は、当人の生きる時代や住む環境(国家など)でどうにでも変わるような「無我・無常」の、相対的概念でしかない。
だから、偶発的な「今」のあり方という現代に、喜びや悲しみを持ったところで意味はない。
むしろ私は往古を偲んでいる。
最近は、ある種のネオクラ・ネオクラシシズム=新古典主義ということで、日本の和歌の様式と古語を用いた現代的な音楽を志向している(仏教の偈などでも思案中)。
その一例が、YouTubeに日本時間2015年12月31日17時に投稿した「大晦日の歌」である。
未だに、誰も古語を用いた楽曲を作っていない。
インターネットを通じて古文献などを学び、DTMで多彩なジャンルの楽曲が作れる。
現代なればこそ、文明の利器を用いた復古主義は蓋然的に起こるはずだが、この現状であるから、私が先陣を切って開拓せねばならない。
とはいえ、気軽に提唱する程度の感覚であるから、ほんの濫觴となるのみに終えるか。
私のような10代・20代の若者こそがこれを志向すべきであろう。
中高年などは「懐メロ・演歌」などと中途半端な懐古に耽溺するのみであるから、復古主義はその旧態依然とした愚物への反動として第三者たる若き志士が成し遂げるものである。
素晴らしき現代性を受け入れ、優美なる往古を知り得た若者らは進んで復古主義に走るが、中途半端な中高年の大衆は、自分の生まれ育った程度の浅い過去にのみ執着する愚物である。
ここまで言うと、国家神道を勃興させた明治維新の革命家の異常性にも似ていようが、私はそれくらいの強い気持ちでこれを提唱する。
故に強い気持ちがあらば、たとえその人の様式が、俗悪なジャンルの音楽などとなったとしても、私は尊重したい。
日本Wikipediaで現代音楽とかそれ関連の記事をいくら見ても、あれは人名を書き連ねる「人物らの話題」の域を出ていないため、「音楽の話題」とは無関係である。
私の記事は具体的だが、日本Wikipediaなどは「人物ら」の話題の空虚な記事ばかりであるから、音楽として学ぶべきポイントは一つも看取し得ない。
音楽と人物はもう少し切り離そうではないか、人物の話題には興味がないし、その夥しき人物らを知らねば、飲み込める記述でないから、空虚というほかない。
起草日: 20160420
近頃、何らかのテーマをもとに最初から記事を書くという作業をしないでいたが、今回の記事は話題を個人的に提起して起草に至り、最初の3時間ほどで4,000文字を超すに至った。
私の機運が高まれば、俄かな経緯であっても十分に満足できる情報と筆致でもって綴ることができるようであると、再認識するに至って僥倖である。
何か、今後も心に思う話題があれば、進んで記事にして情報の発信(思想の開陳)に繋がるよう、発想を持てると好ましい。
追記: 2018年1月
ブログ筆者・横野真史は、2017年にサンスクリット語の偈(詩・韻文・讃歌)を作った。
「宗教文学(?)」といえる、「萌えの典籍」中に盛り込んである。
和讃・漢詩といった、日本語・中国語の韻文(音楽的に歌えるもの)も数多くある。
それについて、①唱えた・②ロック自作曲で歌った音声があり、動画として投稿した。
古代宗教や、その伝播といった、原風景らしきものを思い浮かべられるとよい。
①唱えた http://www.youtube.com/watch?v=EIb2CfiUCPM
②歌った http://www.youtube.com/watch?v=-NhafvQ8x10
ただし、この音楽活動は、「音楽および音楽性ある文化的行為は、歴史的な経緯より3つに大別されよう」として古いものの順に挙げる行為を支持するものでない。
起源や推定可能な最古の形式に、今知られる音楽の歴史の一類型を当てはめることは困難であることを私は知っている。
当記事ではあえて宗教の賛美をしたくて"1"という一類型に関する強調をしていた。
布教の行為に「音楽性ある文化的行為」が見られることは確かである。
しかし、それが音楽の起源よりは、発展の一部に相関性が高いものと考えよう。
宗教的な音楽は、それ自体も必要性からの独特な適正化がありえるし、アフリカの部族なども彼らの中での独特な適正化があったのではないか?
何らかの様式を、起源や推定可能な最古の形式とみなすことはできない。
あくまでも「古代宗教や、その伝播といった、原風景」の表現方法に当たる。
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2014年5月の開始から、時期ごとに学術的と感じる方法に、メモ感覚を兼ねて随時投稿する。身辺や私情を主題に論理を展開することが当ブログの個性である。当ブログの学問関連には、不正確な情報が古い時ほど含まれるので、慎重に確認されたい。キーワードと表記ゆれを重んじる。何か気になる語句があれば検索 ([Ctrl + F] またはブログ内での検索機能) を推奨する。
2016年5月13日金曜日
2016年4月24日日曜日
日本(倭)による「三韓征伐」とされる事績に関する調査
古事記・日本書紀に関しては、ネット上で粗略な説明や信憑性の薄い情報などが乱れている。
本日2016年4月24日は、前日4月23日に読んだ明治期の論文の記述(高麗・百済・新羅の三韓を我が版圖に歸せしめ云々)に発端し、終日、断続的な調査を行った。まずは、日本時間2016年4月24日5時、いな同日7時に再投稿をしたYouTube動画の説明文を引用する。
YouTube動画の説明文の欄における制限に抵触する寸前の文字数である。
当記事を即日で突発的に作った動機は、ここにもあろうか。
以下の冒頭にあるよう、単なる録音テストとして不思議な論文を音読し、説明文に簡単なコメントを書く程度のノリであったが、結果は一日中に渡って断続的に悩まされたわけである。
要は、あまり詳しくない分野のにわか仕込みだが、そう思うほどにネット上の「我、記紀を読みたり!」という感じの人々は、どれほどに読了していようか。
今後の録音動画のためのテストとして、とある論文の一部を音読した。
まず、冒頭にいう「兩國」とは、当時における英露(イギリス帝国・ロシア帝国)を指す。
キリスト教の一宗派の代表を女王や帝王が務めている政教一致の国家(エリザベス女王とプロテスタント・ピョートル大帝と正教会)が、国力を得て、ほかの欧州諸国よりも一国の歴史を長くしている状態を示す。
諸外国でも政教一致の姿勢による国家の長命と富強が明白であるから、いわんや先史より祭政一致の日本をや、と比較文化論で力説する。
ここで飛び出る、彼らにとっての史実の開陳が興味深い。
仏教伝来以前の日本は、純粋な神道(レトロニムで古神道)によって強大な国力を持っていたとして、「高麗・百済・新羅の三韓を我が版圖に歸せしめ」たとか、一部中国大陸から朝貢を上げさせたという事績を挙げている(音声、版圖を"はんず"、朝貢を"ちょうぐ"と呉音で誤読した)。
日本書紀あたりに対応する情報があると思われるが、今の日本人は当然目を丸くしよう。
記紀(古事記・日本書紀)は主に編纂当時の伝承を集めた歴史書であり、創作でなくとも誇張や誤伝はあろう(同様に異国側の記録を参照しても事実に異なる場合もある)。
現代では珍説である上、歴史学的根拠には欠けるとしても、日本書紀の金文ならば江戸時代の国学や明治以後の国体思想では通説と成り得る(江戸時代の国学者は合理的な研究をしていたのにこの辺は記紀という「聖典」や日本の史料を偏重したようである)。
そう思うと、明治より戦前まで、学校教育で教授する内容が気になる。
当時のナショナリズムでは、当然日本神話も教えたはずだが、歴史教育はどうであったか。
現代では眉唾話に思える先の三韓(ここでは高麗が百済・新羅を指すそう)の併合・呉(三国時代?)や粛慎からの貢物の徴収など、史実として子供たちに教えていたか。
百済・新羅というと白村江の戦いのころであろうが、高麗が百済・新羅と同時に存在した時代はない(高句麗との混同か高句麗に相当する国を単に高麗と呼んだだけか)。
白村江ほか、秀吉の朝鮮出征も、現代では日本側の敗戦と扱われるが、この点もどう教えられたか。
また、西洋などの世界史を、学校教育ではどう教えたか、あるいは隠したか。
広く教える場合は、先のイギリス・ロシアのような肯定的なケースのほか、残虐にして国家の興亡が著しい西洋史・中国史を示して日本との対比と自国の賛美をさせる目的もあろう。
現代の日本では、中国や韓国が歴史の誇張や捏造を含む反日教育を行っているとの情報がネット上で伝播している。
社会主義・国家主義や、それに類する思想が強い今の中韓がああするように、当時の日本も中韓ほど攻撃的ではないにせよ、日本の精神性を重んじる上で方向性を誤っていたようである。
島国の祖霊を重んじる日本がわざわざ、島でも何でもない遠い国を占領していたとなれば、本来の精神性に反する。
明治以降の帝国主義の思想においてはいくら他国の支配を行っても、当時の国体思想(真の国体とは名を同じくして実が異なる)の理念には反しない。
だが、和という実存としての日本を思えば、その往古に遠い国から貢物を得ても占領する発想はあり得ない。
古来に類似の事象があったとしてどう動いても、「版圖に歸せしめ」はしなかったであろう。
日本の「神」とは、日本の森羅万象と日本人の祖先などの精霊であろうが、由縁のない土地を併合しては齟齬が生じる。
当時の朝鮮半島も神道に似た自然崇拝と先祖崇拝(巫道)があって日本が各地の神々の共存を認めたよう、朝鮮にも同じ領域で不可能ではないかもしれないが、結局は日本の神道の精神性は古来から現在まで日本列島にのみ収まる。
日本に渡来人が溶け込んだ事実まではよいが、日本人から遠い土地を取り込めば神道に相違する。
対して日本仏教では、日本からインドまでの諸天善神を尊び、拡げれば世界中の神々に神としての価値を認める。
動画投稿後に参照
日本書紀 巻第七~十一
古事記 中巻
広開土王碑(好太王碑) 而倭以辛卯年來渡海破百殘隨破新羅以爲臣民
調査の折、少し話題を外れ、とあるブログを閲覧していると、たまたま本日4月24日投稿の最新記事に「水上交通が盛んになり、交易圏が広がり、遠く朝鮮半島までが大国主神の版図にはいった様子が、古事記に描かれています。」という文章を見かけた。
原文を引用せずに「古事記に書かれてっぞ!」と示されても、ますます情報が乱れてしまうし、大事な聖典の権威のため、「清明(きよくあきらか)」に教えてほしい。
言わば、示して示さないようなものではないか?
その記事においては枝葉末節の話題かもしれないが、私は残念に思っている。
例えば、どこかのお寺の坊さんが「○○上人はこう言いました~、○○聖人の書に書いてあります~」と趣旨のみを書いている度に、私は苛立ちを覚える。
同じ仏教でも、日蓮正宗や創価学会は彼らの発刊している「御書」などのページ数を示したり、キリスト教などでも「〇〇伝、○○による福音書」の何章の何節と示すものだが、なぜこういった姿勢を持たない人がいるか。
とはいえ、彼らが嘘をつくつもりで言っているわけではないのであろうし、たとえ何らかの誇張や脚色や恣意的な想像が混ざったとしても、まあ・・・
というわけで、表題の事績に関して記紀(古事記・日本書紀)および異国の記録の原文や訓読文などを引用する。
至極残念ながら、先の「朝鮮半島が大国主神の版図に入った(三韓に相当する国家を版図に帰せしめた)」としている文言は見当たらなかった(もし古事記に載っているならば上巻にあろう)。
古事記は日本語版Wikisourceに載る戦前発行の注釈付きの本、日本書紀はとあるHPの訓読文+解説(一部活字の本の文章か?)が見やすいが、あとはネット上に全文を通読しやすくしたありがたいページはない。
古事記Wikisource訓読文っぽい文章をより逐語的に変えたり、日本書紀HP訓読文の環境依存文字の便宜表記などを訂正するなど、当方で適宜改良を施した。
古事記 中卷
故備如教覺。整軍雙船。度幸之時。海原之魚。不問大小。悉負御船而渡。爾順風大起。御船從浪。故其御船之波瀾。押騰新羅之國。既到半國。於是其國王畏惶奏言。自今以後。隨天皇命而。爲御馬甘。毎年雙船。不乾船腹。不乾䑨檝。共與天地。無退仕奉。故是以新羅國者。定御馬甘。百濟國者。定渡屯家。爾以其御杖。衝立新羅國主之門。即以墨江大神之荒御魂。爲國守神而。祭鎭。還渡也。
かれ備さに教へ覺したまへる如くに、軍を整へ、船雙めて、度り幸でます時に、海原の魚ども、大き小さきを問はず、悉に御船を負ひて渡りき。ここに順風いたく起り、御船浪のまにまにゆきつ。かれ其の御船の波瀾、新羅の國に押し騰りて、既に國半まで到りき。ここにその國主、畏ぢ惶みて奏し言さく、「今よ後、天皇の命のまにまに、御馬甘として、年の毎に船雙めて船腹乾さず、柂檝(䑨檝)乾さず、天地のむた、退きなく仕へ奉らむ」とまをしき。かれここを以ちて、新羅の國をば、御馬甘と定めたまひ、百濟の國をば、渡の屯家と定めたまひき。ここにその御杖を新羅の國主の門に衝き立てたまひ、すなはち墨江の大神の荒御魂を、國守ります神と祭り鎭めて還り渡りたまひき。
日本書紀 巻第九
冬十月己亥朔辛丑、從和珥津發之。時飛廉起風、陽侯舉浪、海中大魚、悉浮扶船。則大風順吹、帆舶隨波。不勞㯭楫、便到新羅。時隨船潮浪、遠逮國中。卽知、天神地祇悉助歟。新羅王、於是、戰戰慄慄厝身無所。則集諸人曰、新羅之建國以來、未嘗聞海水凌國。若天運盡之、國爲海乎。是言未訖間、船師滿海、旌旗耀日。鼓吹起聲、山川悉振。新羅王遙望以爲、非常之兵、將滅己國。讋焉失志。乃今醒之曰、吾聞、東有神國。謂日本。亦有聖王。謂天皇。必其國之神兵也。豈可舉兵以距乎、卽素旆而自服。素組以面縛。封圖籍、降於王船之前。因以、叩頭之曰、從今以後、長與乾坤、伏爲飼部。其不乾船柂、而春秋獻馬梳及馬鞭。復不煩海遠、以毎年貢男女之調。則重誓之曰、非東日更出西、且除阿利那禮河返以之逆流、及河石昇爲星辰、而殊闕春秋之朝、怠廢梳鞭之貢、天神地祇、共討焉。時或曰、欲誅新羅王。於是、皇后曰、初承神教、將授金銀之國。又號令三軍曰、勿殺自服。今既獲財國。亦人自降服。殺之不祥、乃解其縛爲飼部。遂入其國中、封重寶府庫、收圖籍文書。卽以皇后所杖矛、樹於新羅王門、爲後葉之印。故其矛今猶樹于新羅王之門也。爰新羅王波沙寐錦、卽以微叱己知波珍干岐爲質、仍齎金銀彩色及綾・羅・縑絹、載于八十艘船、令從官軍。是以、新羅王、常以八十船之調貢于日本國、其是之縁也。於是、高麗・百濟二國王、聞新羅收圖籍、降於日本國、密令伺其軍勢。則知不可勝、自來于營外、叩頭而款曰、從今以後、永稱西蕃、不絶朝貢。故因以、定內官家屯倉。是所謂之三韓也。皇后從新羅還之。
冬十月の己亥の朔辛丑(西暦200年10月3日とされる)に、和珥津より發ちたまふ。時に飛廉は風を起し、陽侯は浪を擧げて、海の中の大魚、悉に浮びて船を扶く。則ち大きなる風順に吹きて、帆舶波に隨ふ。㯭(木+慮)楫を勞かずして、便ち新羅に到る。時に隨船潮浪、遠く國の中に逮ぶ。即ち知る、天神地祇の悉に助けたまふか。新羅の王、是に、戰戰慄慄きて厝(厂+昔)身無所。則ち諸人を集へて曰く、「新羅の國を建てしより以來、未だ甞も海水の國に凌ることを聞かず。若し天運盡きて、國、海と爲らむとするか。」是の言未だ訖らざる間に、船師海に滿ちて、旌旗日に耀く。鼓吹聲起して、山川悉に振ふ。新羅の王遥に望りて以爲へらく、非常の兵、將に己が國を滅さむとすと。讋(龍+言)ぢて志失ひぬ。乃今醒めて曰く、「吾聞く、東に神國有り。日本と謂ふ。亦聖王有り。天皇と謂ふ。必ず其の國の神兵ならむ。豈兵を擧げて距くべけむや。」即ち素旆あげて自ら服ひぬ。素組して面縛る。圖籍を封めて、王船の前に降す。因りて、叩頭みて曰す、「今より以後、長く乾坤に與しく、伏ひて飼部と爲らむ。其れ船柂(木+ノ一也)を乾さずして、春秋に馬梳及び馬鞭を獻らむ。復海の遠きに煩かずして、年毎に男女の調を貢らむ。」則ち重ねて誓ひて曰す、「東にいづる日の、更に西に出づるに非ずは、且阿利那禮河の返りて逆に流れ、河の石の昇りて星辰と爲るに及るを除きて、殊に春秋の朝を闕き、怠りて梳と鞭との貢を廢めば、天神地祇、共に討へたまへ。」時に或の曰く、「新羅の王を誅さむ。」是に、皇后の曰はく、「初め神の敎を承りて、將に金銀の國を授けむとす。又三軍に號令して曰ひしく、『自ら服はむをばな殺しそ。』今既に財の國を獲つ。亦人自づから降ひ服ひぬ。殺すは不祥し。」乃ち其の縛を解きて飼部としたまふ。遂に其の國の中に入りまして、重寶の府庫を封め、圖籍文書を收む。即ち皇后の所杖ける矛を以て、新羅の王の門に樹て、後葉の印としたまふ。かれ、其の矛、今猶新羅の王の門に樹てり。爰に新羅の王波沙寐錦、即ち微叱己知波珍干岐を以て質として、仍りて金銀彩色及び綾・羅・縑(糸+兼)絹を齎して、八十艘の船に載れて、官軍に從はしむ。是を以て、新羅の王、常に八十船の調を以て日本國に貢る。其れ是の縁なり。是に、高麗、百濟、二の國の王、新羅の圖籍を收めて日本國に降りぬと聞きて、密に其の軍勢を伺しむ。則ち勝つまじきことを知りて、自ら營の外に來て、叩頭みて款して曰す、「今より以後は、永く西蕃と稱ひつつ、朝貢を絶たじ。」かれ、因りて、内官家屯倉を定む。是所謂三韓なり。皇后、新羅より還りたまふ。
北史 卷九十四
新羅、百濟皆以倭爲大國、多珍物、並仰之、恆通使往來。
(横野真史・拙くも訓ず)新羅・百濟は皆な倭を以て大國と爲す、珍物多く、並びてこれを仰ぎ、恆に通使は往来す。
※「隋書」の八十一巻(そのうち倭國の項、通称: 倭国伝)にもほぼ同文が載るが、その原典表記の倭は「俀(イ+妥)と異体字で表記されるほか、「並仰之」の部分は「並敬仰之」とある。ほかの引用に「殊域周咨錄」「蓬窗日錄」などを確認した。
広開土王碑(好太王碑) 第一面 (元の碑文は欠損箇所がある)
百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以辛卯年來渡海破百殘隨破新羅以爲臣民
百殘(百済)・新羅は旧、是(高句麗の)属民にして朝貢す。而るに、倭、辛卯年(西暦391年とされる)を以て渡海し、百殘を破りて随へ、新羅をも破り、以て臣民と爲す。
上掲の史料群には異説や異本もあるため、全容を網羅していない旨を留意されたい。
こういった史料群を見て私から出せる結論は、動画説明文の「日本の『神』とは、日本の森羅万象と日本人の祖先などの精霊であろうが、由縁のない土地を併合しては齟齬が生じる」という見地から「古来に類似の事象があったとしてどう動いても、『版圖に歸せしめ』はしなかったであろう」と割り出した見解となり、これ以外に帰結するところはない。
朝鮮半島の国家を降伏させて貢物を受ける、といった結果になるとも、明治期の論文にいう「我が版圖に歸せしめ」や、某ブログ最新記事の「大国主神の版図にはいった様子が古事記に描かれ」などといった見解は、彼らの誤読か拡大解釈、中には単なる受け売りもあろう。
もし、本当に彼らのように読み取れる記述があらば是非、金文の提示を請う。
日本書紀巻第九における神功皇后の事跡の記述にも、新羅国の降伏後に高麗(高句麗)と百済の王らが「これから我々は西蕃と名乗って(倭国に)朝貢を捧げて絶やしません」とあるよう、あくまでも「(日本に対する)西の蕃(蛮族・異民族・異国)」として降伏したに過ぎない。
「三韓征伐」なる事績の真偽を問わず、古来の日本人が朝鮮半島の国家をどう見ようとも、かの半島は異なる国土(属国)として扱う選択が道理でなかろうか、故に乃往に日本の国土とせじ。
記紀においては、そう読み取ることしかできないが、一方の広開土王碑など異国の立場では、同一の事象に対する見解や伝達内容が異なる場合もあろうから、どうにも断言できない。
後記、学者志望(肩書に限らない)ならば、このようにして突破すべき試練に直面する。
調査するスキル自体は元々備わっているものの、記紀に関しては難解そうな先入観から敬遠していた。
当初の想定を超過した時間がかかったものの、今回の調査によって耐性が得られたならば、それもよしとできる。
だがまあ、「我、記紀を読みたり!」という学者さんたちが、もっと惜しまずに知識を披瀝し、情報を発信してくれれば、後に学ぶ者たちの助力となろうが、みだりに「こう書いてある!」と金文をチラつかせ、焦(じ)らせるだけでは消化が悪かろう。
当記事の主目的は、文章の解釈の正誤の如何よりも、研鑽の上で文章を精査する姿勢に念を押す(結果よりも過程を重視する意味で前回記事に似た旨を綴る)。
願わくは、速やかに先人の智を遍からしめ、以て真の和に(於)再興のあらんことを。
2016年4月16日土曜日
勇躍の足、自のずから長安に到る、頓に天竺へ、亦た羅馬も近し。
自然道歌(じねんどうか)
勇躍足自到長安、頓天竺羅馬亦近。(勇躍の足、自のずから長安に到る、頓に天竺へ、亦た羅馬も近し)
これ道の在り方なり、意義はいかなるぞ(是云道理、意義者何)。
暫く此の義を語らんと欲す。
平成二十八年三月三十日の文
各々の努力の中に、結果として勝利もあろう。
スポーツとは、勝ち負けの競争や賭け事の世界ではない。
そのような修羅の道であってはならないし、臨む者達も勝ち負けに縛られてプレーすべきではない。
各々の努力による成長こそを尊重すべきである。
勝利と栄光と名声と報酬などは、その「印」、オマケとなる。
正しく道を行く人たちは、勝敗という「印」を等閑視しないため、努力を客観視する上で重視こそすれ、絶対視もしない。
勝敗を絶対視すると、勝利後に相手を見下して「屁のツッパリにもならない」などと、人の健闘を軽んじて冷徹な言葉を吐き得る。
諸々のファン共(ファンに似た何者)が目を瞋らして相手に「負けろ!」と呪い叫ぶこと、悪鬼修羅さながらであり、これが外道たる修羅の道である。
自分が応援するチーム(地域などに縛られる)の対戦相手か、自分の憎むチームに、子供でもしないその罵声を口にし、あるいは軽蔑を心に起こす。
是くの如き修羅の気質がプレーする者に生じるか、ファンの目を気にすれば、予て勝ち負けを案じ、勝った負けたと一喜一憂してその時その時に苦しむ。
正しく道を行く人たちは、負けたときに道を歩み足りないと省みる。
幸いにも勝ち続ける者は、どんな志でも、ただ勝ったのみに道を止めずある。
私は「自己を修養する道」をスポーツには求めないが、これは学問などの道の全てが同様である。
道の途中でお金や名誉を得ることは単なる「印」、オマケであり、拾得物に過ぎない。
今の人は成功主義・即物的であるから、本末転倒に走ってしまう。
私の本心では、スポーツに関わる人、特にファン全般を蔑視しているが、スポーツ自体は修養の道の一つとして尊重はできる。
また、スポーツを修養の本道として真剣に挑む者達も尊重できるが、スポーツ自体の賞賛はできない。
一元ではない双方の尊さを一概に分けて語れない。
勝てない人が卑しい根性で唱えるところの精神論だ、と嫌ってはならない。
正しい道を示す指針とせんが為に説く。
そして外道を具体的に指弾する。
勝敗に拘泥しないばかりか、そもそも勝敗を知らず孤高に道を行く私は、無我夢中に飽くなき探求の精を出す。
世間の迷いを離れた徳とはこれなり。
楽しく道を行って道を外れず、気付けば知らぬうちに素晴らしい場所に到っていることがある、しかしゴールを定めず。
勇躍の足、自のずから長安に到る、頓に天竺へ、亦た羅馬も近し。これが道のあり方か。
文法などの釈
「羅馬亦近」は「復近羅馬(復た羅馬も近し)」としたかったが、類似の文法の例を見つけられなかったためやめた。
漢文の読み下し方や助詞のつけ方には、いくらか遊びがあるとしても、個人的には他の明確な例が見られないと自己流の類推による誤りがありそうで不安が残る。
なお、羅馬"Luoma"は都市のローマを指している。
ローマ帝国という広い名称を、古い中国で「大秦 "Daqin"」などと呼んだようである。
日本でも通じる「羅馬」は、当然日本の音読みでは「ラバ」とか「ラマ」と読むほかないが、このような発音不相応の単語をわざわざローマの当て字として用いている。
中国のピンイン(拼音)で"Luo ma"と、日本のローマの発音に似るし、実際にこの音写・表音は、宋以降の中国で作られたと思われ、日本はなぜか「羅馬」を当て字として借りた(ただし"ラうま"と重箱読みをしてこれを仮名遣い変化で"ろうま"と読むことは不可能でない)。
中国式の音写語句を借りたから、「欧羅巴(ヨーロッパ)」の日本音読み(オウラハ)にしても、中国語の漢字の発音(Ou luo baか口唇破裂音のBP互換でOu luo pa)と比べて当然、原語(英語・ポルトガル語・オランダ語いずれも)の発音に似つかない。
※オウラハとか後述のエイキチリにしても、小学生の時の記憶を思い出した。
一方、同じ「羅」の文字を用いる「羅甸」はラテンの音写・表音となるが、このように、ローマはラテン語を使った地域だが、日本は「羅」の文字を用いるに当たって統一させていない。
先の通り、中国での「羅」は"Luo"と発音されるため、ラテン"Latin"の音写・表音では「羅」を使わず「拉丁"La ding (DT互換でLa ting)"」とするなど、「拉"La"」によっていくつかの音写を表す(日本でもこの文字でラテンの音写をする場合がある)。
「羅馬」のほかに、日本で不相応となる中国音写語句にはイギリスの「英」があり、これも中国では宋以降大概が今のピンインのように"Ying"と発音したろうが、日本では"エイ (呉音はei you互換で"ヨウ・字音ヤウ")"なのだから、なぜ「英吉利・英国」という借り方をしたか不明である。
中国のフランスは「法蘭西」、対する日本は「仏蘭西」と、仏法フォファの違いを取ったように、「英」は何かしら順当な発音の字に変えるべきであった。
「吉」の文字も、日本では上古音・中古音にある入声音の尾子音"t"を踏襲した"キチ・キツ"という読み方をするから「エイキチリ・エイキツリ」というおかしな読み方しか出来ず、尾子音"t"が"l"に変わった朝鮮語ならばまだ「ヨンギルリィ "Yeong gil ri"」と、巻き舌発音でごまかせる(もっともEnglish Englandは見ての通り"r"を含まないし"l"に巻き舌・そり舌の発音をしない)。
清ほどの中国での発音は「吉"ji"」の発音はjとgの互換性から"gi"と発していたろうから、「英吉利」を音写した時代の人々は「インギリ、インギーリー(Ying gi li)」と発音したか。
「インギーリー」がイングリッシュ"English"に擬した音かイングランド"England"に擬した音か不明だが、後者の場合は現代で「英格蘭 (Ying ge lan)」と音写している。
起草日: 20160331
そういえば1年前のこの日この時期には、散歩関連の意気込みを書いたような記事がある。
この記事は「勇躍の足」だとか、旅みたいなテーマの詩を書いているものの、これは単に物事に取り組む姿勢を旅になぞらえた比喩である。
それで、今春の散歩はといえば、特に計画も組まず、既存の計画の実行もせず、ただゴミ出し・自販機通いと同時に公園の桜の様子見を繰り返し行っているのみである。
来月(5月)頭にも今月(4月)分の日記メモまとめ記事を反映するから、そこでも確認されたいが、今年の桜の様子見を行った日は3月17・24・29日、4月1・4・5・14日である。
追記: 2018年7月
2点ほど、追記事項がある。
①「芸術や学問などで道を行く志のある人は、分野や業種などの区分(概念・名称)にくくられず、志のままに取捨選択をできる。例えば、旅においていくらか地図上の地名や道程を認知していても、実際に自分が道を行く時、未知の場所であったり、未開拓の土地や状態の悪い道(=普通の道でない)に当たることもあろうが、進む意志がある時はそれについて嫌悪せず、可能な限りに進む。そうして初めて地図に名の乗る地名や記載される地形や道がある。同じように、自分よりも先に同じことをした人がいなくとも芸術や学問で意欲の強い者は分野や業種などの区分の有無を過度に鑑みる必要が無い。自分の行動の結果によって新たな区分も生じるであろう」
つまり、長安・天竺・羅馬という地名は実在してもしなくても、特定の由緒で意味のある名として発生する。
彼は、日本にいながら・非ユーラシア大陸にいながら、長安・天竺・羅馬を踏破した者となり、更に優れた場所・優れているとさえ表現できない場所にも行くことができる。
地名やそのイメージといった、先の認知は必要・不可欠であろうが、優れた冒険家・探検家にとって、途中(途上)から意味をなさない区分となる。
彼は、何らかの分野の先駆者となるか、他人たちに見られることで先駆者とみなされる。
彼にとって、経由地や到達地は長安・天竺・羅馬とも、天国とも、地獄とも、他の場所とも、名付けることができる。
何らかの分野がその名称と共に新しく成り立つと、じきに合理化→固着・形骸化するので、止揚する者もまた現れるが、これは音楽でも芸術でも学問でも宗教でも、頻繁に発生する現象である。
②羅馬、ローマということで、私がローマの言語たるラテン語で歌を作ったことをここに記す。
http://masashi.doorblog.jp/archives/52087869.html
①の中に記された話題とも関連する。
今の私は、「日本および世界に未だなされないか、あまりなされなかったこと」を、意欲に基づいて行う。
精神的に不備がある今は、常にそうなるわけでないといえど、可能な限りに行うことを期す。
2016年3月28日月曜日
私用ノートパソコンの新調に際した記録と種々の思考
日記メモでは秘密にした話題があり、その話題に関する時期の日付のメモには仄めかす程度の記述のみが見られよう。
今回の記事では、私の理念にやや悖るも、モノ・製品の話題を隠さず述べる。
モノを得るか求める(得たことでなお求める)ほど心を失いそうな観念が強い近頃では、しかも高価なモノを母から買ってもらう、という話題など記録する気にはなれずとも、妄念を滅して虚心坦懐に記していく上でまずは前置きから始める。
3月26日20時かたきしとねメモを残した。
「仮の宿りと終の棲家 現身と思想との住処はいずこ」
新しいパソコンを買うこともないままに今のパソコンが壊れたとしても結果論であろう。
また、壊れる前に買ってもらえる機会があるならば「棚からぼた餅」だが、いずれも喜んだり悔やんだりするべきではない。
このたび、問題なくことが運ばれれば後者のめでたい結果となるからそのための準備を整えている行動は最善だが、過度の期待を持ってはいない。
新しいパソコンを買う機会は、たまたま異常なファンの音を聴くこととなった母からの強い勧めであり、このアプローチなくパソコン故障まで過ごしたとしても、これまた今までにPC故障の必然的一大時を見据えたバックアップの準備から、パソコンなくとも苦しまない心の準備もしていた。
ファンの異常に関連した問題が起きずとも、いつかパソコンは壊れる定めがある。
それを常に思うため、パソコンを利用する以外の日々の過ごし方として、今までに持て余したお金を仏法の為に自分の足で喜捨しにいくことが考えられた。
図書館の本、書店で購入した書籍、これらを家で読んだり、心身の修行に打ち込むほかに、どう現世の日々を過ごしていけようか。
法悦に到っては、結果的に飢えて命が尽きて死ぬこともあろう(法悦の後ろに命終を結び付けるような表現は不適切かもしれない、臨終に際して法悦があるならばよい)。
以上、普段の私は"パソコン"を"PC"と書いているが、携帯電話半角カナ打ちメモの仕様上"パソコン"(原文では"パソ")と綴り、便宜上これを残す。
そのようなわけで、その話題の中身は、PCの新調に関する話が母との会話で俄かに起きた3月20日から始まり、4月1日ころには製品が届くということである(4月1日到着の明文はない)。
過去にも「何か買うよ・買ってあげるよ」、と母が話題を持ち出すことは幾度とあったが、ほとんどの場合は実現性が無かった。
一には母がとても本気ではなかったこと、二には私が負い目を感じて乗り気でなく、曖昧な返答に留めてその機を受け流すところにある。
私自身もおいしい話を自ら辞してはもったいなく思うところもあったが、2015年にもなれば買われようと買われまいと、物欲が乏しくなった上に、物質的充足でのみ心が満足するわけではない精神性を磨き上げた部分もあり、母のアプローチも本気に取り合う気はなくなっていた。
そのような中で、今までの場合とは状況の異なりがある3月20日の場合は、当ノートPC機の一連のファン異常という私が忌々しく思う事態と、母がその場で実感できる問題性の一致によって今まで以上に「買うよ」という母の意思を感じたため、断るわけにもいかないから、私は話に乗った。
当然、私から購入する製品の提案をする必要があるので、一応、動作性が期待できるスペックの上でリーズナブルな価格(こう書くと逆であろうか、現在使用中の当機が新品7万円台だったから同じく新品7万円台を求めた)の商品を、特に母がリピートするメーカーの商品で探したところ、種々の条件が綺麗に合致する商品に出会った。
よって、その商品のページの適切なURLと、文章による必要な情報の提示2点(要約はしてあるが文字数は多い)を、3月21日8時39分にメールで送信した。
現在使用中の当機が2011年10月頃から様々な異常を起こし続けたような不条理さえなければ、この恐らくは宝器たる製品(商品と製品の名称を使い分け)を用いて活動性を蘇生・昇華させられればよい(尤も初心は失っているが)。
一方で現在使用中の当機は数々の問題に遭いながら今までの4年半超を使用できている点、かの製品であっても長寿命に利用できればよい(尤も私が先に死んだり浮浪者となっては困るが)。
前置きの中で「準備を整えている行動は最善」と示したように、一応は活動などでどのように利用するか思い描きつつも、頑張る・本気を出す、という宣言までするわけにはいかないが、一つの好機に与ったのだから可能な限りで尽力したくは思っている。
果たしてこの製品は予定される当日、注文そのままに届くというわけではなかった。
3月27日の日記メモで「本日は2:50のアラームが鳴る直前から意識があったように思う。次に母親が0時57分に送信してきたメールを眺めるなどしてから2時58分に起床した。」と記録したように、母親から製品の内容変更に関するメーカー通販サイトからの通達があった旨のメールが同日0時57分に届いた。
転送されたメーカー通達の内容を要約すれば、「当該商品の受注数が当初の予定を大幅に超過したから当該商品が在庫不足のため予定日に配達できない、代替商品として最新の後継機への変更を提案する・料金に変更は無い」となる。
件の製品のスペックに関しては、先に「現在使用中の当機と同じく新品7万円台・母がリピートするメーカー・種々の条件が綺麗に合致する」とした。
後の代替商品を基準として、両機のスペックの相違を具体的に示す。
・・・今の私がスペックの勘定とか検分をする行為には、功利的で合理的な思考じみていながら無知を晒してしまいそうで羞恥を感じる。
現在使用中の当ノートPC機のCPUがcore i7某(2.66GHzで2コア・・・こう書いても当機購入2011年当時からピンと来ないが当時の良品か)で、件のPCは同じcore i7でも次世代の上位互換(2.6GHzで4コア・・・きっと良品)であり第6世代の一つとされる(進化の具体性は実際に体感を)らしい。
HDDの容量も、当機の名目サイズが500GBであるが、件のPCは1TBである。
SSDがあると良い、などとは昔から聞き及んでいるため、そういう製品の選択もできたろう。
特に件のメーカーは受注生産がデフォルトらしいから、カスタム項目に250GBのSSDもあって選択可能ではあるが、母が注文するにあたる手間を省く・説明が正しく通らないリスクを忌避する・コスト低下を期するなどの思慮から、欲張らずに措いた(母を慮る徳で欲を抑えた)。
ほか、件のメーカーのノートPCは今までの母や弟のマシンを見てもディスプレイサイズがアスペクト比16:9の傍系で、奇妙なサイズ(1080p未満720p以上)となっており、当機も件のPCも変わらず。
16:9の1080p(フルHD)や16:10の縦1200などは未だ技術が安価になりきらないか、あるいはメーカーが意図的にハイスペックで高価なモデルにのみ搭載させているか。
ディスプレイのサイズといっても、モニタの物理的なサイズに関しては当機14インチに対し、母や弟のマシンや件の製品など後発のモデルはみな15.6インチである。
代替案メールの中で最も前提知識が無かった、液晶パネルの「光沢(グレア)・非光沢(ノングレア)」という点については、どうもまあ自分が実物を体感しないことには良し悪しの判断はできないように思う。
当(まさ)に現在使用中の機器がどちらであるかすら判別が付かないからである。
当機がどちらか調べるも、自室にあるスペックの表には「TFT液晶」とあるのみで、オンライン上の情報などを調べても判明しなかった(注記、1時間後に再調査すると光沢液晶である旨が在庫切れのAmazon商品ページに見られた、とはいえ判断はやはり実際にまで期待しておく)。
OSに関してはWindows 7の当機に対し、件のPCはWindows 10で今のところ触れた経験が無く、不安もあるが楽観的推量でよほどのハズレという有様は無かろうと見る。
母や弟のマシンは購入時がWindows 8であるが、私が2014年に弟機へWindows 8.1を導入を試した経緯がある。
仮にWindows 8及び8.1ライクの操作性などであっても、楽観的推量でよほどの不備は無かろう。
標準的なマウスやタッチパッド操作で適応できないほど酷かったり、ソフトの互換性が著しく損なわれているような改悪を、まさかマイクロソフト様がなされようとは思わない、と楽観的に推量する。
当記事は3月27日14時半前に起草したが、執筆の中で心を闇が覆うようであった。
靉靆たる暗雲が重々しく棚引いている、PCを手にする前からモノの重みを覚える。
モノを得る・与えられることに何か背徳感や罪悪感を覚えるとは、それまたモノの価値を認め、物質の執着という観念を取り払っていない証でもあろう。
だが、やはり世間的な繋がりは断ち切れていない以上、高額なモノをどんな経緯であれ自分のために買ってもらうことには背徳を覚える。
前置きにもあるよう、PCというモノを得る喜びは無くした方がよい一方で、PCというモノに金というモノを誰か他人という肉体(唯物論でなく)に助けてもらう状況に負い目を感じてはならない。
今まであった母との話であっても、妨げる観念が浮き足立つようにさせ、機を逸した心残り・後悔を僅かでも生んできた。
人に感謝はすべきであるが、それらの観念・妄念・妄執は、是の如く己を責める因となって身を苛み、束縛するようならば、その鎖を解き放つように、それらの一切を捨てれば妨げ・障礙というホダシが解ける。
それらのホダシを解かねば、これからの折角の好機は、逸せずとも台無し同然であろう。
まさに起草日から到着予定日までにはしっかりとホダシをホドク、そうして迎えよう。
去る2015年の大晦日の歌には、同じように一年の煩悩や執着を洗い流して元旦を迎える美徳が歌われている。
今回の記事では、私の理念にやや悖るも、モノ・製品の話題を隠さず述べる。
モノを得るか求める(得たことでなお求める)ほど心を失いそうな観念が強い近頃では、しかも高価なモノを母から買ってもらう、という話題など記録する気にはなれずとも、妄念を滅して虚心坦懐に記していく上でまずは前置きから始める。
3月26日20時かたきしとねメモを残した。
「仮の宿りと終の棲家 現身と思想との住処はいずこ」
新しいパソコンを買うこともないままに今のパソコンが壊れたとしても結果論であろう。
また、壊れる前に買ってもらえる機会があるならば「棚からぼた餅」だが、いずれも喜んだり悔やんだりするべきではない。
このたび、問題なくことが運ばれれば後者のめでたい結果となるからそのための準備を整えている行動は最善だが、過度の期待を持ってはいない。
新しいパソコンを買う機会は、たまたま異常なファンの音を聴くこととなった母からの強い勧めであり、このアプローチなくパソコン故障まで過ごしたとしても、これまた今までにPC故障の必然的一大時を見据えたバックアップの準備から、パソコンなくとも苦しまない心の準備もしていた。
ファンの異常に関連した問題が起きずとも、いつかパソコンは壊れる定めがある。
それを常に思うため、パソコンを利用する以外の日々の過ごし方として、今までに持て余したお金を仏法の為に自分の足で喜捨しにいくことが考えられた。
図書館の本、書店で購入した書籍、これらを家で読んだり、心身の修行に打ち込むほかに、どう現世の日々を過ごしていけようか。
法悦に到っては、結果的に飢えて命が尽きて死ぬこともあろう(法悦の後ろに命終を結び付けるような表現は不適切かもしれない、臨終に際して法悦があるならばよい)。
以上、普段の私は"パソコン"を"PC"と書いているが、携帯電話半角カナ打ちメモの仕様上"パソコン"(原文では"パソ")と綴り、便宜上これを残す。
そのようなわけで、その話題の中身は、PCの新調に関する話が母との会話で俄かに起きた3月20日から始まり、4月1日ころには製品が届くということである(4月1日到着の明文はない)。
過去にも「何か買うよ・買ってあげるよ」、と母が話題を持ち出すことは幾度とあったが、ほとんどの場合は実現性が無かった。
一には母がとても本気ではなかったこと、二には私が負い目を感じて乗り気でなく、曖昧な返答に留めてその機を受け流すところにある。
私自身もおいしい話を自ら辞してはもったいなく思うところもあったが、2015年にもなれば買われようと買われまいと、物欲が乏しくなった上に、物質的充足でのみ心が満足するわけではない精神性を磨き上げた部分もあり、母のアプローチも本気に取り合う気はなくなっていた。
そのような中で、今までの場合とは状況の異なりがある3月20日の場合は、当ノートPC機の一連のファン異常という私が忌々しく思う事態と、母がその場で実感できる問題性の一致によって今まで以上に「買うよ」という母の意思を感じたため、断るわけにもいかないから、私は話に乗った。
当然、私から購入する製品の提案をする必要があるので、一応、動作性が期待できるスペックの上でリーズナブルな価格(こう書くと逆であろうか、現在使用中の当機が新品7万円台だったから同じく新品7万円台を求めた)の商品を、特に母がリピートするメーカーの商品で探したところ、種々の条件が綺麗に合致する商品に出会った。
よって、その商品のページの適切なURLと、文章による必要な情報の提示2点(要約はしてあるが文字数は多い)を、3月21日8時39分にメールで送信した。
現在使用中の当機が2011年10月頃から様々な異常を起こし続けたような不条理さえなければ、この恐らくは宝器たる製品(商品と製品の名称を使い分け)を用いて活動性を蘇生・昇華させられればよい(尤も初心は失っているが)。
一方で現在使用中の当機は数々の問題に遭いながら今までの4年半超を使用できている点、かの製品であっても長寿命に利用できればよい(尤も私が先に死んだり浮浪者となっては困るが)。
前置きの中で「準備を整えている行動は最善」と示したように、一応は活動などでどのように利用するか思い描きつつも、頑張る・本気を出す、という宣言までするわけにはいかないが、一つの好機に与ったのだから可能な限りで尽力したくは思っている。
果たしてこの製品は予定される当日、注文そのままに届くというわけではなかった。
3月27日の日記メモで「本日は2:50のアラームが鳴る直前から意識があったように思う。次に母親が0時57分に送信してきたメールを眺めるなどしてから2時58分に起床した。」と記録したように、母親から製品の内容変更に関するメーカー通販サイトからの通達があった旨のメールが同日0時57分に届いた。
転送されたメーカー通達の内容を要約すれば、「当該商品の受注数が当初の予定を大幅に超過したから当該商品が在庫不足のため予定日に配達できない、代替商品として最新の後継機への変更を提案する・料金に変更は無い」となる。
件の製品のスペックに関しては、先に「現在使用中の当機と同じく新品7万円台・母がリピートするメーカー・種々の条件が綺麗に合致する」とした。
後の代替商品を基準として、両機のスペックの相違を具体的に示す。
・・・今の私がスペックの勘定とか検分をする行為には、功利的で合理的な思考じみていながら無知を晒してしまいそうで羞恥を感じる。
現在使用中の当ノートPC機のCPUがcore i7某(2.66GHzで2コア・・・こう書いても当機購入2011年当時からピンと来ないが当時の良品か)で、件のPCは同じcore i7でも次世代の上位互換(2.6GHzで4コア・・・きっと良品)であり第6世代の一つとされる(進化の具体性は実際に体感を)らしい。
HDDの容量も、当機の名目サイズが500GBであるが、件のPCは1TBである。
SSDがあると良い、などとは昔から聞き及んでいるため、そういう製品の選択もできたろう。
特に件のメーカーは受注生産がデフォルトらしいから、カスタム項目に250GBのSSDもあって選択可能ではあるが、母が注文するにあたる手間を省く・説明が正しく通らないリスクを忌避する・コスト低下を期するなどの思慮から、欲張らずに措いた(母を慮る徳で欲を抑えた)。
ほか、件のメーカーのノートPCは今までの母や弟のマシンを見てもディスプレイサイズがアスペクト比16:9の傍系で、奇妙なサイズ(1080p未満720p以上)となっており、当機も件のPCも変わらず。
16:9の1080p(フルHD)や16:10の縦1200などは未だ技術が安価になりきらないか、あるいはメーカーが意図的にハイスペックで高価なモデルにのみ搭載させているか。
ディスプレイのサイズといっても、モニタの物理的なサイズに関しては当機14インチに対し、母や弟のマシンや件の製品など後発のモデルはみな15.6インチである。
代替案メールの中で最も前提知識が無かった、液晶パネルの「光沢(グレア)・非光沢(ノングレア)」という点については、どうもまあ自分が実物を体感しないことには良し悪しの判断はできないように思う。
当(まさ)に現在使用中の機器がどちらであるかすら判別が付かないからである。
当機がどちらか調べるも、自室にあるスペックの表には「TFT液晶」とあるのみで、オンライン上の情報などを調べても判明しなかった(注記、1時間後に再調査すると光沢液晶である旨が在庫切れのAmazon商品ページに見られた、とはいえ判断はやはり実際にまで期待しておく)。
OSに関してはWindows 7の当機に対し、件のPCはWindows 10で今のところ触れた経験が無く、不安もあるが楽観的推量でよほどのハズレという有様は無かろうと見る。
母や弟のマシンは購入時がWindows 8であるが、私が2014年に弟機へWindows 8.1を導入を試した経緯がある。
仮にWindows 8及び8.1ライクの操作性などであっても、楽観的推量でよほどの不備は無かろう。
標準的なマウスやタッチパッド操作で適応できないほど酷かったり、ソフトの互換性が著しく損なわれているような改悪を、まさかマイクロソフト様がなされようとは思わない、と楽観的に推量する。
当記事は3月27日14時半前に起草したが、執筆の中で心を闇が覆うようであった。
靉靆たる暗雲が重々しく棚引いている、PCを手にする前からモノの重みを覚える。
モノを得る・与えられることに何か背徳感や罪悪感を覚えるとは、それまたモノの価値を認め、物質の執着という観念を取り払っていない証でもあろう。
だが、やはり世間的な繋がりは断ち切れていない以上、高額なモノをどんな経緯であれ自分のために買ってもらうことには背徳を覚える。
前置きにもあるよう、PCというモノを得る喜びは無くした方がよい一方で、PCというモノに金というモノを誰か他人という肉体(唯物論でなく)に助けてもらう状況に負い目を感じてはならない。
今まであった母との話であっても、妨げる観念が浮き足立つようにさせ、機を逸した心残り・後悔を僅かでも生んできた。
人に感謝はすべきであるが、それらの観念・妄念・妄執は、是の如く己を責める因となって身を苛み、束縛するようならば、その鎖を解き放つように、それらの一切を捨てれば妨げ・障礙というホダシが解ける。
それらのホダシを解かねば、これからの折角の好機は、逸せずとも台無し同然であろう。
まさに起草日から到着予定日までにはしっかりとホダシをホドク、そうして迎えよう。
去る2015年の大晦日の歌には、同じように一年の煩悩や執着を洗い流して元旦を迎える美徳が歌われている。
2016年3月16日水曜日
SoundCloudの夥しきスパム"Spammers"の問題と、音楽の世界的な没個性化についての雑感
【SoundCloudの夥しきスパム】
2016年3月13日夕にSoundCloudへ、いかにもなジャンル(EDM, Dubstep)の楽曲を、そうタグ付けして投稿した。
https://soundcloud.com/masashi00/microsoft-gs
※スパムを、具体的かつ単純に定義するならば「広告の形式をとらず広告と同様の成果を狙う宣伝行為」である。インターネットで自サイトの宣伝をするには普通、宣伝してもらう他所のサイトに許可得て報酬(無報酬なら相互リンクの許可のみ)を出すが、スパムはそれらの取引をせず勝手に宣伝行為を行う。行為の方法は多々あるが、SNSなどでは当記事に詳述する手段もある。
・・・すると、投稿直後に"Like"が2も増えた。
履歴(通知、Notificationの欄)を見ても似たような画像の色違いアイコンのユーザーということは集団スパムである。
10分ほどでDL数もカウントが1つ増えたが、再生回数は0のままである(スパムロボットは再生ボタンを押す能力が無い)。
つくづくサンクラは空虚である。
今回と反し、再生だけ増えて"Like"が増えないケースもまた同様か。
どちらにせよ、バランスが狂おしく思う。
例えるならば、周囲に人の姿なくして人の談笑が聴こえるようであり、また周囲に人の姿が満ちているのに音一つ聴こえない静けさである。
それは「一切有爲法 如夢幻泡影 如露亦如電」であり「應作如是觀(そう思いなさい)」であろう。
3月14日朝は"Like"が9つに増えてなぜか"Follower"も増えていたが、その実は、日本時間3月13日23時ころに女性の顔写真アイコンのユーザーがものの1時間で5人(後追い女性顔1人)もLikeとFollowをしてきたのであって、いずれもスパムである。
フォロワー数だとかを千万と稼いでも、女性顔アイコンがフォロワー一覧に並ばれても、私の心が満たされることはない。
お願いだから、純心のリスナーだけ来てほしく、純心のリスナーが来ないならばスパムも来なくなってほしい。
スパムが来るときだけ来て後から外れる常套手段も気味が悪いから、来たならば来たままでいればよいものを。
3月15日の朝には"Like"が2つ減った。
スパムなど、一時的に高評価を入れたり、ユーザー登録(Subscribe, Favorite, Followなど)して、少し待って彼らの望む成果の有無を問わず、それを解除することは必然的な法則である。
この朝に減った2つ分は、投稿直後に"Like"を入れた「似たような画像の色違いアイコン」のアカウント2つである。
【過去にSoundCloudの問題性を論じた投稿のまとめ】
2016年1月末・糞メッセージ(アラート・通知)問題
2014年8月末・音楽投稿サイトの癖にレート落として音質劣化させる仕様への不満
2014年8月・URL設定での英語大文字使用不可と表示されたメッセージの不親切さの報告
2014年4月末・スパム報告
2014年1月末・主にハイハット音質劣化の疑問
このうち、「音質劣化」に関しては2015年8月30日投稿の音楽ブログ記事に詳細な記述があり、ここに引用しておく。
後年、音響的に調べると、SoundCloud無料アカウント投稿のストリーミング再生の音声データは、約17 kHz (17,000 Hz) 以上の周波数の帯域が記録されないものと分かった。
手持ちのmp3ファイル音声データが20,000 Hz近く記録されているとして、それをアップロードしても約17 kHz以上の周波数の帯域は記録されないため、ハイハット(esp. オープンハイハット 10~20 kHz)のような高周波数の成分が多い音は顕著に聴覚的な反映が感じられると、私は見ている。
世界的に、軽薄で没個性的なラップ調の曲が流行、というよりは定番となりつつあろうか。
何とも印象を持ちがたいメロディでフニャフニャ・グダグダと歌っているだけの曲がSoundCloudの全ジャンルランキング上位を占めており、徹頭徹尾、陳腐であった。
そういうラップ的なジャンルとは違うはずのジャンルのランキングを見ても、何が異なろうか疑問の曲のみしか見られない。
このランキング(チャート)は定期更新で、集計範囲が1週間であり、それ以上、詳細な情報・ソートなどはない(イマドキ海外サイトは「似非シンプルブーム」でどこも不親切で情報も貧弱だからこのランキング自体あてにならないかもしれないが一応参照しよう)。
https://soundcloud.com/charts/top
ABC順ジャンル、"Alternative Rock" や "Ambient"とは、こんなジャンルであったか?
明らかなジャンル相違であろうが、先の不審と同じくサイトの仕様が変なだけであろうか?
現在のオルタナロック1位→https://soundcloud.com/peachiness/stressed-out
現在のアンビエント1位→https://soundcloud.com/richardwolfmusic/flo-rida-my-house-wolf-rework
高齢者の世代が昔から「最近の音楽は心に残らない」という決まり文句とは、もはや次元が異なり、これからもロクなヒット曲は出ないと思われる。
無論、ヒットした曲が優れた曲であると言うのではない。
私には、ヒットした事跡が観念的ながら穢れと感じられるためヒット曲は往々にして厭うものだが、逆に世間的見地では、ヒット曲が出ない音楽界は異常にも思うから、本来は出て然るべし。
それで、多少奇抜だったり、まだ印象的なメロディやフレーズのある曲が一時的に世界的ヒットを見せる程度であろう(江南スタイルなどは再生工作もあったが)。
近年でもこういう惨状であるのに、今後はますます没個性化を、プロ作曲第一線からリスナーの趣向までが進めていくことは想像に難くない。
「他人のことなど気にせぬ」と、我関せずを決め込むことができない私は大いに憂えている。
自分と他人、内の心と外の世界、これらは相反するようだが、別々でなく相互に関し合うこと、仏法を学べば痛いほど知り得るから、その不二・一如・一体という見方から他人事に思わない。
世間を席巻するヒット曲の傾向と、私のような下人の作曲は共に在る。
一方、日本の音楽はメロディやフレーズが凝っているというか、特徴的過ぎて世界では嫌われる(日本のガラパゴス文化の一種)が、私が作曲するならば古かろうともキャッチー(?)なメロディでも何でも、意のままに作曲してゆこう。
ところが近年は、日本国内(主にアマチュア・同人・素人の作曲界隈)を見ても、音楽性がグローバル路線というか、やはり世界的な凡庸軽薄ラップの真似が進行している。
日本人の一般民衆までもが西洋かぶれで国際的迎合をし、悦に入っているのであろう。
オリコンチャートに載るようなJ-POP商業音楽は存じないが、日本人的にも、あんなものがイマドキ、オサレ・オシャレ・シャレオツな感じなのであろうか?
否定の意図は毛頭ないが、私は全く真似したく感じない。
そういう曲を少しは作ってみようと思った時期(2013年まで)もあった。
先述の、国際的迎合というか、時代先取りの意欲も微かにあった。
そういう曲への関心が失せた今でも、そういう曲が「あらゆる音楽の片隅」にある程度ならばそれも尊重できたが、現状の如く、生態系を壊す異常繁殖をされては快いと思わない。
そういう曲と遠そうなジャンル、私の好んでいるメタルなどにも薄々影響が及んできつつあるから、2014年以降ほとんどの国内外メタルやジャンル不問洋楽全般への関心を失った(バンドやアーティストの存在に依存しない主義が拡大した)。
洋楽は元々軽薄ポップスが多い中、特に洋楽メタル界隈は大御所なども軽薄ポップス迎合で劣化の極みである(音がショボくて歌もメリハリがなく陳腐ジャンルに同化した)。
下位ジャンルや有名バンド90・00年代の代表的な曲と、10年代最新楽曲は同じジャンルやバンドと思えぬほど落差が著しく、凡庸にして軽薄ポップス迎合に陥って個性を失ったが、新興勢力や若手ほどが幾分マシの傾向もあるとはいえ、本領を忘れて形骸化したバンドらに\m/ \m/サインを送り続ける人種(ファンら)は、音楽のリスナーではなくバンドの操り人形と思おう。
今の世の中、全てが下降したり狂っているわけで、ベターには戻らないであろうから、今更嘆く話題でもないが、これは若い音楽リスナーであっても異常事態に見えよう。
物事を百分率でいえば、0から誕生して1となり、ピーク時の100は繁栄と分裂の極致であり、やがてまた集合と衰退で1まで陥り、消滅して0に帰す。
盛る我が身もやがて能力を失って衰え死に、人類も地上に遍満して多くの文明を築いては飲み込みあい絶滅しよう。
消滅に至ろうとする現在、インターネットの普及・流行も、大中小サイトの隆盛は停滞して共存と調和は消え、大手サイトに情報が集約されるという破滅の中央集権が凄まじく見える。
今の音楽界は10年ほど前をピークとして、それから陳腐なジャンルへに集約・老衰して細分化も消え、ピーク時の100から見れば20ほどに貧弱で、遠からず1となって限りなく0に近づくであろう。
それで、世界的にも日本的にも、あんな軽薄で没個性的なラップ調の曲が流行、というか定番となっていようか?
もはやこの「濁世」で、V字回復のような現象など望めなかろうか?
衰微して遠からず消滅の0を向かえようか?
しかし孤陋なる私は、これからも大衆・衆愚に迎合せず、卑賤なる音楽を独り追究して参る所存である。
繁栄・衰退とは相対的である。
現状の前がどのような状態であったか、その状態に比して下降している状態、それが継続するほど衰退と呼ぶからである。
ここ数年の様相を現状として、10・20年前から顧みるに、繁栄と衰退の現象は凝縮されている。
ここ数年は、ほんの少し前よりも画一化・没個性化という、典型的な衰退現象が強く出ているから、演繹して後先を簡単に見通せるから笑えてしまう。
消滅はせずとも、実質希望の無い分野として形だけ生き長らえようか(先の指標で言えば10以下)。
私は世界的な画一化・没個性化という現象を2014年に論じて嘆いた。
当記事は音楽の話題に限っているが動画の、当時から既にその現象を「衰退現象」として如実に観じていたわけだから、あのような原稿に基づく動画を投稿した。
http://www.youtube.com/watch?v=kx6FJ2RNyPo
私が最も尋ねたかったことは、諸々のリスナーの感覚として、「あんなもの」で満足できる音楽であろうか、という点である。
2012年4月より前、まだ中3のときに作曲して歌った曲(リンク先動画はサムネイルとタイトルが釣り・無関係で中身の曲は私の作詞作曲)のジャンルが「あんなもの」に類する(ただしメリハリも展開もしっかり混ざるから典型的「あんなもの」とは異なる)。
「ヨー聴けぇ、オレの、リリィクスゥうぉ・・・」
今の私が「あんなもの」に類するジャンルの作曲をすることはない。
録音環境が悪いから歌唱や演奏などは不向きであるばかりか、演奏する楽器・・・話せば長くなるので本家13年8月14日記事(ないし14年6月追記)に任す(ちなみに私が今有する演奏能力も、並みの小学生に特段勝らない)。
だから、歌唱も演奏も、私の作曲に取り入れられることはない。
そのうちに歌詞を書く意欲も、2011・12年ころと比べて格段に落ちた。
次に、音楽に歌詞が必要なものであるか否か、一般にヒットする楽曲(J-POP)は歌ありきであることに疑問を覚えた中3頃は悩み考えた。
2012年中に一つの結論を出していたが、活動においては気分次第であろう。
「歌詞や歌声が無くば音楽に非ず」でもないし、「歌など邪道だ」と軽蔑してもいけない、だから気まぐれで歌も作るが、先述のように自分で歌うとか音声合成ソフト(ボ○ロなど)を使うといった手段はとらない。
2014年までは、自分が歌うに良い環境を求めるか、誰か歌が上手くて録音環境の良い人(俗に言う歌い手)の歌唱を求める考えもあったが、今では少しもその発想がなくなった。
それは、以下から綴るような音楽性が定着したためである。
私は、「古い」とすら言われないが「古い・ガラパゴス」ともいえるメロディ豊かな楽曲を愛する。
そして私はそれを作曲するが、人々はそれを求めることは無かろう。
「古い・ガラパゴス」が数ある中で、取り立てて私の曲が求められずとも構わない。
最初から、私に世間的な成功の見込みなど、虚像ばかりしかなかった。
私は「作ったものを愛させる」という能動的立場でないが、「作られたものを愛する」という受動的立場にも成れない。
既述の通り「古い・ガラパゴス」のリスナーがいなければ、「古い・ガラパゴス」の作曲者もいない。
ただ我一人、リスナー無き作曲者でいられようとも、誰かのリスナーとは成れない。
リスナーとなるべき作曲者が他にいない。
だから、せめて稀代の作曲者・私を楽しませる者を所望したが、自明の理に失望のほかはない。
何年も明白であったから、ここ1年ほど当記事のような「ジャンル懐疑」という戯論(無駄な議論)を、個人的な思考の中にすら起こさずいたが、また無駄で野暮な話を自ら穿り返す死に損ないの私であった。
近頃は、私がインターネットにはまった2007年、正確に言えば私がネットから受けた影響の文化的年代の雰囲気ある楽曲を好む。
2005~2008年、拡げて2000年代の雰囲気ある楽曲を好む、直截的に言えば、私が2011年から利用を始めたサイトの2006~08年頃に投稿された曲を聴いている。
2000年代の雰囲気とは何か、あくまでもオリコンのチャート上位に列ねたようなポップスなどではない。
まあ当時から積極的にTVドラマだとかも見始めるという、芸能風俗の向きもあったが、新たに求めはしない。
何せ、人間の声の入った曲は好まないためであり、また衛生観念的に、ヒットした事跡やアーティストの存在を、穢れとして感じるためでもあり・・・。
そこで、某サイトの古い楽曲を探しつつ、自らも某サイトでの投稿活動を維持するが、先ほどのように「私を楽しませる者」などいないことは「自明の理」であるから、某サイトには新たな投稿者の存在などが皆無に等しい。
某サイトにはリスナー(楽しまされる者)の存在であっても皆無に等しい現状、まさに孤陋の身で作曲する私はどこまでも不遇である。
「楽しませる者」たちは共に、2006~08年頃や、延ばして2011年までは歓喜の中に熱烈な作曲活動に勤しんでいた(過去の音楽館記事に語るらい○ちゃんや中年男性らも同様である)。
私にはその足跡を拝して偲ぶだけで、とてもその歓喜を共にすることは叶わなく、元より万事同志を得られず精神的には生来・生涯孤独のままと決定しているのであるし、未だに人間関係を求めようとする己の愚かしさ、みすぼらしく物を乞う姿との変わりのなさに虚脱感さえ覚える。
論理的にこう考えるから、自分としては珍しく虚脱感を覚えよう。
自分と無関係な過去の事象を偲ぶ、それは懐古ではなく探求のうちにあろう。
次はどこへと移ろうものか、自分の思議が及ぶ領域でない。
2016年3月13日夕にSoundCloudへ、いかにもなジャンル(EDM, Dubstep)の楽曲を、そうタグ付けして投稿した。
https://soundcloud.com/masashi00/microsoft-gs
※スパムを、具体的かつ単純に定義するならば「広告の形式をとらず広告と同様の成果を狙う宣伝行為」である。インターネットで自サイトの宣伝をするには普通、宣伝してもらう他所のサイトに許可得て報酬(無報酬なら相互リンクの許可のみ)を出すが、スパムはそれらの取引をせず勝手に宣伝行為を行う。行為の方法は多々あるが、SNSなどでは当記事に詳述する手段もある。
・・・すると、投稿直後に"Like"が2も増えた。
履歴(通知、Notificationの欄)を見ても似たような画像の色違いアイコンのユーザーということは集団スパムである。
10分ほどでDL数もカウントが1つ増えたが、再生回数は0のままである(スパムロボットは再生ボタンを押す能力が無い)。
つくづくサンクラは空虚である。
今回と反し、再生だけ増えて"Like"が増えないケースもまた同様か。
どちらにせよ、バランスが狂おしく思う。
例えるならば、周囲に人の姿なくして人の談笑が聴こえるようであり、また周囲に人の姿が満ちているのに音一つ聴こえない静けさである。
それは「一切有爲法 如夢幻泡影 如露亦如電」であり「應作如是觀(そう思いなさい)」であろう。
3月14日朝は"Like"が9つに増えてなぜか"Follower"も増えていたが、その実は、日本時間3月13日23時ころに女性の顔写真アイコンのユーザーがものの1時間で5人(後追い女性顔1人)もLikeとFollowをしてきたのであって、いずれもスパムである。
フォロワー数だとかを千万と稼いでも、女性顔アイコンがフォロワー一覧に並ばれても、私の心が満たされることはない。
お願いだから、純心のリスナーだけ来てほしく、純心のリスナーが来ないならばスパムも来なくなってほしい。
スパムが来るときだけ来て後から外れる常套手段も気味が悪いから、来たならば来たままでいればよいものを。
3月15日の朝には"Like"が2つ減った。
スパムなど、一時的に高評価を入れたり、ユーザー登録(Subscribe, Favorite, Followなど)して、少し待って彼らの望む成果の有無を問わず、それを解除することは必然的な法則である。
この朝に減った2つ分は、投稿直後に"Like"を入れた「似たような画像の色違いアイコン」のアカウント2つである。
【過去にSoundCloudの問題性を論じた投稿のまとめ】
2016年1月末・糞メッセージ(アラート・通知)問題
2014年8月末・音楽投稿サイトの癖にレート落として音質劣化させる仕様への不満
2014年8月・URL設定での英語大文字使用不可と表示されたメッセージの不親切さの報告
2014年4月末・スパム報告
2014年1月末・主にハイハット音質劣化の疑問
このうち、「音質劣化」に関しては2015年8月30日投稿の音楽ブログ記事に詳細な記述があり、ここに引用しておく。
1年半以上前からの不満となるが、SoundCloudで上げたファイルはハイハットの音が凄まじく劣化するようで、当時検索してもそれらしい情報はヒットしなかった。
今回改めて「"soundcloud" "ハイハット"」と検索したら、2015年投稿のツイート・知恵袋質問に、関連する情報が書かれ、後者の場合「無料アカウント(128kbps)では仕方がない」ということであった。
ここで更に私なりの追究をすると、投稿者が任意で許可するファイルのダウンロード機能では、同じmp3ファイルであることに気付き、ファイルのサンプルレートなど投稿時(192kbps)と全く一緒であった。
要するに、ダウンロードされたmp3ファイルは劣化せず、SoundCloudサイト上のストリーミング再生機能の音声は別途、音声データがエンコードされて無料会員のものは酷い音質(128kbps説)に落とされるらしい。
後年、音響的に調べると、SoundCloud無料アカウント投稿のストリーミング再生の音声データは、約17 kHz (17,000 Hz) 以上の周波数の帯域が記録されないものと分かった。
手持ちのmp3ファイル音声データが20,000 Hz近く記録されているとして、それをアップロードしても約17 kHz以上の周波数の帯域は記録されないため、ハイハット(esp. オープンハイハット 10~20 kHz)のような高周波数の成分が多い音は顕著に聴覚的な反映が感じられると、私は見ている。
【音楽の世界的な没個性化】
世界的に、軽薄で没個性的なラップ調の曲が流行、というよりは定番となりつつあろうか。
何とも印象を持ちがたいメロディでフニャフニャ・グダグダと歌っているだけの曲がSoundCloudの全ジャンルランキング上位を占めており、徹頭徹尾、陳腐であった。
そういうラップ的なジャンルとは違うはずのジャンルのランキングを見ても、何が異なろうか疑問の曲のみしか見られない。
このランキング(チャート)は定期更新で、集計範囲が1週間であり、それ以上、詳細な情報・ソートなどはない(イマドキ海外サイトは「似非シンプルブーム」でどこも不親切で情報も貧弱だからこのランキング自体あてにならないかもしれないが一応参照しよう)。
https://soundcloud.com/charts/top
ABC順ジャンル、"Alternative Rock" や "Ambient"とは、こんなジャンルであったか?
明らかなジャンル相違であろうが、先の不審と同じくサイトの仕様が変なだけであろうか?
現在のオルタナロック1位→https://soundcloud.com/peachiness/stressed-out
現在のアンビエント1位→https://soundcloud.com/richardwolfmusic/flo-rida-my-house-wolf-rework
高齢者の世代が昔から「最近の音楽は心に残らない」という決まり文句とは、もはや次元が異なり、これからもロクなヒット曲は出ないと思われる。
無論、ヒットした曲が優れた曲であると言うのではない。
私には、ヒットした事跡が観念的ながら穢れと感じられるためヒット曲は往々にして厭うものだが、逆に世間的見地では、ヒット曲が出ない音楽界は異常にも思うから、本来は出て然るべし。
それで、多少奇抜だったり、まだ印象的なメロディやフレーズのある曲が一時的に世界的ヒットを見せる程度であろう(江南スタイルなどは再生工作もあったが)。
近年でもこういう惨状であるのに、今後はますます没個性化を、プロ作曲第一線からリスナーの趣向までが進めていくことは想像に難くない。
「他人のことなど気にせぬ」と、我関せずを決め込むことができない私は大いに憂えている。
自分と他人、内の心と外の世界、これらは相反するようだが、別々でなく相互に関し合うこと、仏法を学べば痛いほど知り得るから、その不二・一如・一体という見方から他人事に思わない。
世間を席巻するヒット曲の傾向と、私のような下人の作曲は共に在る。
一方、日本の音楽はメロディやフレーズが凝っているというか、特徴的過ぎて世界では嫌われる(日本のガラパゴス文化の一種)が、私が作曲するならば古かろうともキャッチー(?)なメロディでも何でも、意のままに作曲してゆこう。
ところが近年は、日本国内(主にアマチュア・同人・素人の作曲界隈)を見ても、音楽性がグローバル路線というか、やはり世界的な凡庸軽薄ラップの真似が進行している。
日本人の一般民衆までもが西洋かぶれで国際的迎合をし、悦に入っているのであろう。
オリコンチャートに載るようなJ-POP商業音楽は存じないが、日本人的にも、あんなものがイマドキ、オサレ・オシャレ・シャレオツな感じなのであろうか?
否定の意図は毛頭ないが、私は全く真似したく感じない。
そういう曲を少しは作ってみようと思った時期(2013年まで)もあった。
先述の、国際的迎合というか、時代先取りの意欲も微かにあった。
そういう曲への関心が失せた今でも、そういう曲が「あらゆる音楽の片隅」にある程度ならばそれも尊重できたが、現状の如く、生態系を壊す異常繁殖をされては快いと思わない。
洋楽は元々軽薄ポップスが多い中、特に洋楽メタル界隈は大御所なども軽薄ポップス迎合で劣化の極みである(音がショボくて歌もメリハリがなく陳腐ジャンルに同化した)。
下位ジャンルや有名バンド90・00年代の代表的な曲と、10年代最新楽曲は同じジャンルやバンドと思えぬほど落差が著しく、凡庸にして軽薄ポップス迎合に陥って個性を失ったが、新興勢力や若手ほどが幾分マシの傾向もあるとはいえ、本領を忘れて形骸化したバンドらに\m/ \m/サインを送り続ける人種(ファンら)は、音楽のリスナーではなくバンドの操り人形と思おう。
今の世の中、全てが下降したり狂っているわけで、ベターには戻らないであろうから、今更嘆く話題でもないが、これは若い音楽リスナーであっても異常事態に見えよう。
物事を百分率でいえば、0から誕生して1となり、ピーク時の100は繁栄と分裂の極致であり、やがてまた集合と衰退で1まで陥り、消滅して0に帰す。
盛る我が身もやがて能力を失って衰え死に、人類も地上に遍満して多くの文明を築いては飲み込みあい絶滅しよう。
消滅に至ろうとする現在、インターネットの普及・流行も、大中小サイトの隆盛は停滞して共存と調和は消え、大手サイトに情報が集約されるという破滅の中央集権が凄まじく見える。
今の音楽界は10年ほど前をピークとして、それから陳腐なジャンルへに集約・老衰して細分化も消え、ピーク時の100から見れば20ほどに貧弱で、遠からず1となって限りなく0に近づくであろう。
それで、世界的にも日本的にも、あんな軽薄で没個性的なラップ調の曲が流行、というか定番となっていようか?
もはやこの「濁世」で、V字回復のような現象など望めなかろうか?
衰微して遠からず消滅の0を向かえようか?
しかし孤陋なる私は、これからも大衆・衆愚に迎合せず、卑賤なる音楽を独り追究して参る所存である。
繁栄・衰退とは相対的である。
現状の前がどのような状態であったか、その状態に比して下降している状態、それが継続するほど衰退と呼ぶからである。
ここ数年の様相を現状として、10・20年前から顧みるに、繁栄と衰退の現象は凝縮されている。
ここ数年は、ほんの少し前よりも画一化・没個性化という、典型的な衰退現象が強く出ているから、演繹して後先を簡単に見通せるから笑えてしまう。
消滅はせずとも、実質希望の無い分野として形だけ生き長らえようか(先の指標で言えば10以下)。
私は世界的な画一化・没個性化という現象を2014年に論じて嘆いた。
当記事は音楽の話題に限っているが動画の、当時から既にその現象を「衰退現象」として如実に観じていたわけだから、あのような原稿に基づく動画を投稿した。
http://www.youtube.com/watch?v=kx6FJ2RNyPo
私が最も尋ねたかったことは、諸々のリスナーの感覚として、「あんなもの」で満足できる音楽であろうか、という点である。
2012年4月より前、まだ中3のときに作曲して歌った曲(リンク先動画はサムネイルとタイトルが釣り・無関係で中身の曲は私の作詞作曲)のジャンルが「あんなもの」に類する(ただしメリハリも展開もしっかり混ざるから典型的「あんなもの」とは異なる)。
「ヨー聴けぇ、オレの、リリィクスゥうぉ・・・」
今の私が「あんなもの」に類するジャンルの作曲をすることはない。
録音環境が悪いから歌唱や演奏などは不向きであるばかりか、演奏する楽器・・・話せば長くなるので本家13年8月14日記事(ないし14年6月追記)に任す(ちなみに私が今有する演奏能力も、並みの小学生に特段勝らない)。
だから、歌唱も演奏も、私の作曲に取り入れられることはない。
そのうちに歌詞を書く意欲も、2011・12年ころと比べて格段に落ちた。
次に、音楽に歌詞が必要なものであるか否か、一般にヒットする楽曲(J-POP)は歌ありきであることに疑問を覚えた中3頃は悩み考えた。
2012年中に一つの結論を出していたが、活動においては気分次第であろう。
「歌詞や歌声が無くば音楽に非ず」でもないし、「歌など邪道だ」と軽蔑してもいけない、だから気まぐれで歌も作るが、先述のように自分で歌うとか音声合成ソフト(ボ○ロなど)を使うといった手段はとらない。
2014年までは、自分が歌うに良い環境を求めるか、誰か歌が上手くて録音環境の良い人(俗に言う歌い手)の歌唱を求める考えもあったが、今では少しもその発想がなくなった。
それは、以下から綴るような音楽性が定着したためである。
そして私はそれを作曲するが、人々はそれを求めることは無かろう。
「古い・ガラパゴス」が数ある中で、取り立てて私の曲が求められずとも構わない。
最初から、私に世間的な成功の見込みなど、虚像ばかりしかなかった。
私は「作ったものを愛させる」という能動的立場でないが、「作られたものを愛する」という受動的立場にも成れない。
既述の通り「古い・ガラパゴス」のリスナーがいなければ、「古い・ガラパゴス」の作曲者もいない。
ただ我一人、リスナー無き作曲者でいられようとも、誰かのリスナーとは成れない。
リスナーとなるべき作曲者が他にいない。
だから、せめて稀代の作曲者・私を楽しませる者を所望したが、自明の理に失望のほかはない。
何年も明白であったから、ここ1年ほど当記事のような「ジャンル懐疑」という戯論(無駄な議論)を、個人的な思考の中にすら起こさずいたが、また無駄で野暮な話を自ら穿り返す死に損ないの私であった。
近頃は、私がインターネットにはまった2007年、正確に言えば私がネットから受けた影響の文化的年代の雰囲気ある楽曲を好む。
2005~2008年、拡げて2000年代の雰囲気ある楽曲を好む、直截的に言えば、私が2011年から利用を始めたサイトの2006~08年頃に投稿された曲を聴いている。
2000年代の雰囲気とは何か、あくまでもオリコンのチャート上位に列ねたようなポップスなどではない。
まあ当時から積極的にTVドラマだとかも見始めるという、芸能風俗の向きもあったが、新たに求めはしない。
何せ、人間の声の入った曲は好まないためであり、また衛生観念的に、ヒットした事跡やアーティストの存在を、穢れとして感じるためでもあり・・・。
そこで、某サイトの古い楽曲を探しつつ、自らも某サイトでの投稿活動を維持するが、先ほどのように「私を楽しませる者」などいないことは「自明の理」であるから、某サイトには新たな投稿者の存在などが皆無に等しい。
某サイトにはリスナー(楽しまされる者)の存在であっても皆無に等しい現状、まさに孤陋の身で作曲する私はどこまでも不遇である。
「楽しませる者」たちは共に、2006~08年頃や、延ばして2011年までは歓喜の中に熱烈な作曲活動に勤しんでいた(過去の音楽館記事に語るらい○ちゃんや中年男性らも同様である)。
私にはその足跡を拝して偲ぶだけで、とてもその歓喜を共にすることは叶わなく、元より万事同志を得られず精神的には生来・生涯孤独のままと決定しているのであるし、未だに人間関係を求めようとする己の愚かしさ、みすぼらしく物を乞う姿との変わりのなさに虚脱感さえ覚える。
論理的にこう考えるから、自分としては珍しく虚脱感を覚えよう。
自分と無関係な過去の事象を偲ぶ、それは懐古ではなく探求のうちにあろう。
次はどこへと移ろうものか、自分の思議が及ぶ領域でない。
2016年2月25日木曜日
「千弁蓮華 "Sahasrāra"」と「千葉蓮華」
2016年2月6日、鳩摩羅什三蔵翻訳の「妙法蓮華経」に本来は無かった「提婆達多品第十二」を読んでいた(日蓮大聖人も女人成仏抄で二十七品が二十八品に増えた経緯を説明している)。
この品なくば「法華経二十八品」という表現が成立しなくなる、といった一定の存在感がある。
※添品妙法蓮華経という後世の法華経において提婆品にあたる記述が「見宝塔品第十一」に追加され、更に後年、羅什訳の妙法蓮華経にもその記述が独立して提婆品が生まれた、という学説がある。また、羅什さんが参照した梵語法華経には提婆品にあたる記述なく、闍那崛多さんが参照した梵語法華経にはある記述が、後年梵語圏で付加された記述であろうとされる。これも以前話した「観世音菩薩普門品の『偈』」と同じような経緯となる。
とある調べごとのために、この提婆品を読んでいたが、その中で無関係ながら「千葉蓮華(せんようれんげ・せんしょうれんげ)」という表現に惹かれた(爾時文殊師利。坐千葉蓮華。大如車輪。倶来菩薩...)。
これは真っ先に「千枚の花弁を持つ蓮"Sahasrāra (マクロン抜き正当: Sahasraara、サハスラーラ)"」という、私が初めてサンスクリット語として覚えた単語を思い起こす。
サンスクリット語といえば、古今東西・英語にも日本語にも影響を与えた世界的言語ではあるから、誰しも語源的に通じる単語を自然と知っている(記事末尾参照)ものであるが、単にアルファベットやデーヴァナーガリーから覚えたものとしては"Sahasrāra"が初めてである。
"Sahasrāra"を知った2013年中に「千弁蓮華」と、独自の漢訳をして記事に載せた(厳密に言えば、直に漢訳する知識は無かったから英語や日本語での意訳を四字熟語に置き換えたのみ)。
この思い出深き"Sahasrāra"との類似性を覚える「千葉蓮華」にあたる単語が梵本・サンスクリット語のバージョンには載っているか、"Sahasrāra"に巡りあえるか興味が沸いたため、調査を行った。
ヒンドゥー教(印度教)関連から知ったものであるから、仏教とは関係ないことは当然分かるが、そのために梵語・梵本の法華経にも見られる単語であるか、突き止めたく思う。
※実はこの2月6日より前に、別の方法で"Sahasrāra"に関する調査をしていた。サンスクリット語で「蓮」とは何だろう・・・私の先入観で"Sahasrāra"が「(千の花弁を持つ)蓮」という認識によって、「Sahasra(千)+ara(蓮)」と仮定していたが、実際には"Thousand-petaled"という英訳の通り、「蓮」の意味を含んでいない。この時、妙法蓮華経の題でも有名な「白蓮 "Puṇḍarīka (プンダリーカ)"」も浮かべていたので、当時はこれを結論とせざるを得ず。
まず、英語版Wikisourceで対訳箇所を探すべく"Chapter 11"を披いた。
先述の通り、この「提婆達多品第十二」は鳩摩羅什三蔵翻訳の「妙法蓮華経」のみ設けられたものであり、別の本ではみな「見宝塔品第十一」に当たるパートに載っているから、"Chapter 11"を参照する必要がある。
また、サンスクリット語版としてDSBCの"11 STŪPASAṂDARŚANAPARIVARTAḤ"も披く。
妙法蓮華経でその記述の前後にある固有名詞などの、ローマ字(ラテン文字)表記を想像して、ページ内検索をかけ続けておおよその位置を特定する。
「文殊師利」は好例にあたるため「英語ではマンジュシュリー"Manjusri ??"だったか」と想像しながら英・梵両ページを探すと、それらしい記述の位置が当たった。
他にも知っている単語である「ボーディ・サットヴァ"Bodhisattva"」のような単語も付近にあることを確認していく。
ほか、自分の脳内で通じた単語は"prajñākūṭa (prajñākūṭo bodhisattva)"の「プラジュニャー」という語根は音写・漢訳で「般若=智」、それで菩薩の名前とすれば「智積菩薩」に通じ、WS所載の英訳本に"six perfect virtues (Pâramitâs)"とあるも箇所も「六波羅蜜」を指すと見た。
以下に対応する記述のハイライト
同日19時台、ついに「千葉蓮華」の核心に迫った。
"Sahasrapatre"という単語は「千葉」を表していよう。
"Sahasra"は「千」であり、"patre"は「葉」、でなかろうか。
英語版Wiktionary "सहस्र"の記事で"Sahasra = Thousand"であると書かれ、英語版Wiktionary "Leaf"の記事でインド系の諸語の対訳がパーリ語なら"Paṇṇa (Panna)"、ベンガル語なら"Pata"、より追跡してヒンディー語やネパール語にマラーティー語、ついにはサンスクリット語でも"Patra"とあることから、まさしく"Patre = Patra (主格) = Leaf"(葉) であると繋がる。
その直後に続く"Padme"という単語も、Wiktionaryでの調査に限界があるため、槍投げにGoogle検索をかけたところ、何とか期待する検索結果を得られた。
格変化の処格(所格・於格とも)の違いで"Padma"が"Lotus"つまり「蓮」に当たる単語である。
要は、「千葉蓮華」をサンスクリット語に戻すと"Sahasrapatra padma (サハスラパトラ・パドマ)"ということになろう。
※蓮は蓮でも、"Padma"と"Puṇḍarīka"の違いは色にあるようだが、紅蓮・白蓮となろう。単に「ハス」という分類学上の植物の名を指す場合は前者にすべきか、といった点は不明である。そこで別途調査すると、分類学上のニュートラルな名称は「パドマ」でなく「カマラ "Kamala, कमल"」のようである。
※"Sahasrapatre padme"手前の"kumārabhūtaḥ"という単語は「クマーラブータハ(?)」と読むが、クマーラといえばあの妙法蓮華経訳者、鳩摩羅什三蔵も「クマーラジーヴァ」といい、父上も「クマーラヤナ」と称するなど、"kumārabhūtaḥ"の意味が気になるところであるが、これ以上は止みなん、また知るべからず(もう止めよう、知ることはできない)。
2013(12?)年に単語"Sahasrāra"を知ってより、2013年末に"Thousand Leaves (まさに千葉)"の楽曲を聴き、2014年6月に日本仏教への関心を強く持ち、この2016年1月以降はサンスクリット語・パーリ語といった言語に向き合う心の準備が整ってから、ようやく類語などを特定するに至った。
短時間でこれだけ調査したから、実に疲れてしまう。
しかもそれを、「漏らさないうちに知識を移しきろう」としてこの記事を即日まとめたわけだから、作業量が濃密となる。
無論、即日まとめるとしても速記のようなものだから、即日や翌日に投稿するとは意味しない。
現状、メモ帳には4記事のストックがあるので、これらを順次投稿していき、当記事は当月末に投稿・反映する予定を立てよう。
なお、他の英語の意訳として、"Sacred Texts"所載の訳文における「千葉蓮華」の箇所は"centifolious lotus"とあるが、これは「百の葉の蓮」を意味しているようである。
ラテン語接頭辞"centi-"は、センチメートルなどと日本でも言うが、"100, Hundred"にあたる意味を持つ。
ちなみに100は、ラテン語 ケントゥム"centum"であり、サンスクリット語 シャタ"śata शत"である。
"fol"という語幹なら、先のサンスクリット語"Patra"と同様"leaf"を意味している。
ところでラテン語で"Pater"といえば「父親」を意味する単語で、今や全世界に流布する「パパ・ママ "Papa, Mama"」の語源は無論ラテン語であり、ラテン語の前にも(?)古代ギリシャ語"παπάς"など、相当する単語がある。
ラテン語で父・母といえば"Pater, Mater"であるが、これらのより祖先を辿ると印欧祖語というものになるらしい。
同じ印欧祖語が祖先である「印欧語族」にあるサンスクリット語では"पितृ, मातृ"であり、ローマ字表記をすれば"pitṛ, mātṛ"となる。
両親について、父母の順序を「母父"Mātā-pitarau"」という並列の言葉で称しているそう。
この品なくば「法華経二十八品」という表現が成立しなくなる、といった一定の存在感がある。
※添品妙法蓮華経という後世の法華経において提婆品にあたる記述が「見宝塔品第十一」に追加され、更に後年、羅什訳の妙法蓮華経にもその記述が独立して提婆品が生まれた、という学説がある。また、羅什さんが参照した梵語法華経には提婆品にあたる記述なく、闍那崛多さんが参照した梵語法華経にはある記述が、後年梵語圏で付加された記述であろうとされる。これも以前話した「観世音菩薩普門品の『偈』」と同じような経緯となる。
とある調べごとのために、この提婆品を読んでいたが、その中で無関係ながら「千葉蓮華(せんようれんげ・せんしょうれんげ)」という表現に惹かれた(爾時文殊師利。坐千葉蓮華。大如車輪。倶来菩薩...)。
これは真っ先に「千枚の花弁を持つ蓮"Sahasrāra (マクロン抜き正当: Sahasraara、サハスラーラ)"」という、私が初めてサンスクリット語として覚えた単語を思い起こす。
サンスクリット語といえば、古今東西・英語にも日本語にも影響を与えた世界的言語ではあるから、誰しも語源的に通じる単語を自然と知っている(記事末尾参照)ものであるが、単にアルファベットやデーヴァナーガリーから覚えたものとしては"Sahasrāra"が初めてである。
"Sahasrāra"を知った2013年中に「千弁蓮華」と、独自の漢訳をして記事に載せた(厳密に言えば、直に漢訳する知識は無かったから英語や日本語での意訳を四字熟語に置き換えたのみ)。
この思い出深き"Sahasrāra"との類似性を覚える「千葉蓮華」にあたる単語が梵本・サンスクリット語のバージョンには載っているか、"Sahasrāra"に巡りあえるか興味が沸いたため、調査を行った。
ヒンドゥー教(印度教)関連から知ったものであるから、仏教とは関係ないことは当然分かるが、そのために梵語・梵本の法華経にも見られる単語であるか、突き止めたく思う。
※実はこの2月6日より前に、別の方法で"Sahasrāra"に関する調査をしていた。サンスクリット語で「蓮」とは何だろう・・・私の先入観で"Sahasrāra"が「(千の花弁を持つ)蓮」という認識によって、「Sahasra(千)+ara(蓮)」と仮定していたが、実際には"Thousand-petaled"という英訳の通り、「蓮」の意味を含んでいない。この時、妙法蓮華経の題でも有名な「白蓮 "Puṇḍarīka (プンダリーカ)"」も浮かべていたので、当時はこれを結論とせざるを得ず。
まず、英語版Wikisourceで対訳箇所を探すべく"Chapter 11"を披いた。
先述の通り、この「提婆達多品第十二」は鳩摩羅什三蔵翻訳の「妙法蓮華経」のみ設けられたものであり、別の本ではみな「見宝塔品第十一」に当たるパートに載っているから、"Chapter 11"を参照する必要がある。
また、サンスクリット語版としてDSBCの"11 STŪPASAṂDARŚANAPARIVARTAḤ"も披く。
妙法蓮華経でその記述の前後にある固有名詞などの、ローマ字(ラテン文字)表記を想像して、ページ内検索をかけ続けておおよその位置を特定する。
「文殊師利」は好例にあたるため「英語ではマンジュシュリー"Manjusri ??"だったか」と想像しながら英・梵両ページを探すと、それらしい記述の位置が当たった。
他にも知っている単語である「ボーディ・サットヴァ"Bodhisattva"」のような単語も付近にあることを確認していく。
ほか、自分の脳内で通じた単語は"prajñākūṭa (prajñākūṭo bodhisattva)"の「プラジュニャー」という語根は音写・漢訳で「般若=智」、それで菩薩の名前とすれば「智積菩薩」に通じ、WS所載の英訳本に"six perfect virtues (Pâramitâs)"とあるも箇所も「六波羅蜜」を指すと見た。
以下に対応する記述のハイライト
atha khalu tasyāṃ velāyāmadhastāddiśaḥ prabhūtaratnasya tathāgatasya buddhakṣetrādāgataḥ prajñākūṭo nāma bodhisattvaḥ| sa taṃ prabhūtaratnaṃ tathāgatametadavocat-gacchāmo bhagavan svakaṃ buddhakṣetram| atha khalu bhagavān śākyamunistathāgataḥ prajñākūṭaṃ bodhisattvametadavocat-muhūrtaṃ tāvat kulaputra āgamayasva yāvanmadīyena bodhisattvena mañjuśriyā kumārabhūtena sārdhaṃ kaṃcideva dharmaviniścayaṃ kṛtvā paścāt svakaṃ buddhakṣetraṃ gamiṣyasi| atha khalu tasyāṃ velāyāṃ mañjuśrīḥ kumārabhūtaḥ sahasrapatre padme śakaṭacakrapramāṇamātre niṣaṇṇo'nekabodhisattvaparivṛtaḥ puraskṛtaḥ samudramadhyāt sāgaranāgarājabhavanādabhyudgamya upari vaihāyasaṃ khagapathena gṛdhrakūṭe parvate bhagavato'ntikamupasaṃkrāntaḥ| atha mañjuśrīḥ kumārabhūtaḥ padmādavatīrya bhagavataḥ śākyamuneḥ prabhūtaratnasya ca tathāgatasya pādau śirasābhivanditvā yena prajñākūṭo bodhisattva stenopasaṃkrāntaḥ| upasaṃkramya prajñākūṭena bodhisattvena sārdhaṃ saṃmukhaṃ saṃmodanīṃ saṃrañjanīṃ vividhāṃ kathāmupasaṃgṛhya ekānte nyaṣīdat| atha khalu prajñākūṭo bodhisattvo mañjuśriyaṃ kumārabhūtametadavocat-samudramadhyagatena tvayā mañjuśrīḥ kiyān sattvadhāturvinītaḥ? mañjuśrīrāha-anekānyaprameyāṇyasaṃkhyeyāni sattvāni vinītāni| tāvadaprameyāṇyasaṃkhyeyāni yāvadvācā na śakyaṃ vijñāpayituṃ cittena vā cintayitum
同日19時台、ついに「千葉蓮華」の核心に迫った。
"Sahasrapatre"という単語は「千葉」を表していよう。
"Sahasra"は「千」であり、"patre"は「葉」、でなかろうか。
英語版Wiktionary "सहस्र"の記事で"Sahasra = Thousand"であると書かれ、英語版Wiktionary "Leaf"の記事でインド系の諸語の対訳がパーリ語なら"Paṇṇa (Panna)"、ベンガル語なら"Pata"、より追跡してヒンディー語やネパール語にマラーティー語、ついにはサンスクリット語でも"Patra"とあることから、まさしく"Patre = Patra (主格) = Leaf"(葉) であると繋がる。
その直後に続く"Padme"という単語も、Wiktionaryでの調査に限界があるため、槍投げにGoogle検索をかけたところ、何とか期待する検索結果を得られた。
格変化の処格(所格・於格とも)の違いで"Padma"が"Lotus"つまり「蓮」に当たる単語である。
要は、「千葉蓮華」をサンスクリット語に戻すと"Sahasrapatra padma (サハスラパトラ・パドマ)"ということになろう。
※蓮は蓮でも、"Padma"と"Puṇḍarīka"の違いは色にあるようだが、紅蓮・白蓮となろう。単に「ハス」という分類学上の植物の名を指す場合は前者にすべきか、といった点は不明である。そこで別途調査すると、分類学上のニュートラルな名称は「パドマ」でなく「カマラ "Kamala, कमल"」のようである。
※"Sahasrapatre padme"手前の"kumārabhūtaḥ"という単語は「クマーラブータハ(?)」と読むが、クマーラといえばあの妙法蓮華経訳者、鳩摩羅什三蔵も「クマーラジーヴァ」といい、父上も「クマーラヤナ」と称するなど、"kumārabhūtaḥ"の意味が気になるところであるが、これ以上は止みなん、また知るべからず(もう止めよう、知ることはできない)。
2013(12?)年に単語"Sahasrāra"を知ってより、2013年末に"Thousand Leaves (まさに千葉)"の楽曲を聴き、2014年6月に日本仏教への関心を強く持ち、この2016年1月以降はサンスクリット語・パーリ語といった言語に向き合う心の準備が整ってから、ようやく類語などを特定するに至った。
短時間でこれだけ調査したから、実に疲れてしまう。
しかもそれを、「漏らさないうちに知識を移しきろう」としてこの記事を即日まとめたわけだから、作業量が濃密となる。
無論、即日まとめるとしても速記のようなものだから、即日や翌日に投稿するとは意味しない。
現状、メモ帳には4記事のストックがあるので、これらを順次投稿していき、当記事は当月末に投稿・反映する予定を立てよう。
なお、他の英語の意訳として、"Sacred Texts"所載の訳文における「千葉蓮華」の箇所は"centifolious lotus"とあるが、これは「百の葉の蓮」を意味しているようである。
ラテン語接頭辞"centi-"は、センチメートルなどと日本でも言うが、"100, Hundred"にあたる意味を持つ。
ちなみに100は、ラテン語 ケントゥム"centum"であり、サンスクリット語 シャタ"śata शत"である。
"fol"という語幹なら、先のサンスクリット語"Patra"と同様"leaf"を意味している。
ところでラテン語で"Pater"といえば「父親」を意味する単語で、今や全世界に流布する「パパ・ママ "Papa, Mama"」の語源は無論ラテン語であり、ラテン語の前にも(?)古代ギリシャ語"παπάς"など、相当する単語がある。
ラテン語で父・母といえば"Pater, Mater"であるが、これらのより祖先を辿ると印欧祖語というものになるらしい。
同じ印欧祖語が祖先である「印欧語族」にあるサンスクリット語では"पितृ, मातृ"であり、ローマ字表記をすれば"pitṛ, mātṛ"となる。
両親について、父母の順序を「母父"Mātā-pitarau"」という並列の言葉で称しているそう。
2016年2月18日木曜日
日本・大陸漢字発音概論 [音韻学]
今回は、漢音と呉音の復習に加え、漢字文化圏の諸語や外部の言語の例も交えて解説する。
「自然(しぜん)」と「男女(だんじょ)」に、別の読み方があることはご存知であろうか。
そう、「自然薯(じねんじょ)」や「老若男女(ろうにゃくなんにょ)」に見られる差である。
その差は単なる訛りであろうか?
これは端的にいえば「漢音」と「呉音」の差である。
"しぜん・だんじょ"組は漢音であり、"じねん・なんにょ"組は呉音である。
「自」は一般的にこの呉音かつ濁音の"じ"と読まれる。
「自」を漢音かつ清音の"し"と読むのは、いわゆる中国の書で仏教でない道教や儒教での読み方の影響で"しぜん"と読む。
一方、"じねん"の場合、「然」を呉音である"ねん"と読む熟語は、「天然」くらいしか一般的な例がなく、一応IMEで変換できるものとして「忽然」などがある程度だ。
だが、音符となれば「燃焼」の燃えるという字が一般的に"ねん"と読む。
ともかく、要は漢音"ぜん"と呉音"ねん"の差は、「特定の単語のみに現れる訛り」ではなく「普遍的法則」である。
これは"ぜ"と"ね"の互換である。
"だんじょ"の"だ"に対する"なんにょ"の"な"、また"じ"と"に"も同じ普遍的法則が合う。
余談だが、「境内(けいだい)」という読み方は、「境」も「内」もそのような読み方の単語例はほかにあまり無いので、初めて見たとき・普段見ない中で久々に見る時には大概「境内(きょうない)」と読む人も多かろう。
これも前者が漢音であり、後者が呉音である。
「境(さかい・けい・きょう)」はいわゆるeiとyouの互換であるが、これは音韻学入門の2014年7月の記事で当時なりの解説がされている
「内(うち・だい・ない)」は先ほどと同じ法則によるが、"だい"読みの単語例は「お内裏」か。
"だDA"と"なNA"は歯茎音で共通し、"じょJO"と"にょNYO"は硬口蓋音で共通し、"ぜZE"と"ねNE"は歯茎音で共通する。
例えば"ぜ"は有声歯茎破擦音であり、"ね"は有声歯茎摩擦音であるといった、"だ・じ・ぜ"等の互換法則漢音は大概「部位名称+破擦or破裂音」に該当する。
とりあえず、ここで漢音"だ・じ・ぜ"と呉音"な・に・ね"に発音法則の一貫性があることを理解されたい。
なお、"ぬ"や"の"が呉音なのか漢音なのか、また片方に当てはまる場合もう片方がどういう音になるか、少し説明する。
「奴・怒」は「奴隷(どれい)・憤怒(ふんど)」という漢音、「奴婢(ぬひ)・憤怒(ふんぬ)」という呉音の違いがあり、"の"という発音に至っては、音読みでの例が未見であるので説明不能か。
次に例題を挙げよう。
「美女(びじょ)」を呉音読みするとどうであろうか。
すなわち、"みにょ"となる。
前述の法則上、女"じょ"が"にょ"となるのみならず、"び"までもが"み"と変化した。
これは過去記事「BM互換」の中で多くの例より解説しているので参照されたい。
「BM互換」は、呉音がMの時、漢音がBとなる法則であるから、呉音と漢音どちらかのみ判明している漢字の音がBの音だとしても、必ず漢音に可能性は限られない(後述)。
後々、中国本土では多くの漢音B音がM音に発せられている(日本の呉音B音は後述「毘"び"」が"Pi"、「平"びょう"」が"Ping"になるよう、P音が多い。これは有声音と無声音の違いであって現代中国の口語では個々の字と条件によってB音にもなる場合がある)。
今の中国本土の普通話において、B音の漢字はほぼ無くなってしまった(後述する「本」は別)。
サンスクリット語には漢字の音写で「菩・仏・毘」などが当てられるB音の単語が多い。
今の中国本土では過去記事にも書いたが、「仏陀(ぶっだ"Buddha")」が"Fo Tuo"となり、「菩提(ぼだい"Bodhi")」が"Pu Ti"となるなど、しかもD音のT音化までセットに見られ、頭子音のB音の消失をはっきりと見ることができる。
これでは、サンスクリット語「音写」に対する、音韻上の再現性に欠いてしまう。
なお、日本仏教に「仏陀(ぶっだ)」という発音は伝統的にされないほか、"っ"という促音の後に"だ"というD音がつく熟語はほぼ存在しない(この発音自体が外来語に対して用いられるようになるなど、日本語には近現代まで無かった)。
"ば"の音の漢字なら、サンスクリット音写の場合「婆・跋」などが用いられる。
これにしてもP音に変わっているから、「婆羅門(ばらもん"Brahmana")」も"Po Luo Men"となってしまう(跋は・・・)。
"べ"に関しては該当する音が漢字にもサンスクリット語にも見づらい。
"ヴェ"は本質的に異なるし、ヴェーダ(韋駄・吠陀)は仏教と関係がなくなってしまう。
続いて、諸語における漢字B音読みの存在を確認しよう。
ベトナム語は不明であるが、「ベトナム"Vietnam"」はご存知の通り「越南(えつなん)」と漢字で書く。
これは日本の古い字音でいえば"ゑつなむWetsu Namu"となるが、それを更にWとVの互換性、入声音の考慮などをすれば"Vet Namu"となり、"Vietnam"と瓜二つのスペルに変わる。
このようであるから、普通の人もとい2年前までの私は「越南」で「越」と"Viet"に似ている点を感じられないであろうが、実は日本語と疎通するものがある。
ベトナム語を始めとして、韓国語や中国方言(広東語・閩南語など)は伝来当初の音を多少の範囲で残しているから、参考となる部分が多い。
韓国語にもまだB音は残っているようであるが、ローマ字表記の基準が変わるとPに綴られる場合も多い。
私が中3あたりの頃は「釜山(プサン)」の表記が"Pusan"と"Busan"に分かれる理由が気になっていたものの、これは"Pusan"がマッキューン=ライシャワー式で、"Busan"が文化観光部2000年式という違いである。
前者M-R式は日本統治時代から不変であるが、後者2000式は韓国政府による改良が度々加えられる中で2000年に確定した表記法であり、現行のローマ字・ラテン文字表記の基準となる。
※後の加筆となる。このB, Pの別は有声・無声の両唇破裂音であり、この有声音や無声音はG, Kなどのいわゆる濁音と清音に相当するが、日本の連濁のように、前後の音など脈絡に応じて有声音と無声音が入れ替わったりする。M-R式や2000式といったローマ字表記法ごとの違いは、ここで決定される。
なお、中国のピンイン方式の表記と、ウェード式という表記法にも、BとPのつづりの差がある。
例えば、「本」のピンインは"ben"、ウェード式では"pen"であるが、韓国のM-R式"pon"、2000式"bon"とも「本」にB・Pの違いがあるが、どちらも実際にBの発音をしている。
今日の日本でそれら言語のカタカナ表記をするにも、大概は両言語の現行表記法(ピンインと2000式)に基づいているから「日本」は中: リーベン"Ri Ben"、韓: イルボン"Il Bon"と綴られる。
※「語中に連濁もとい有声音化が現れただけ」と言われれば、それまでかもしれない。ピンインとかウェード式とかというのはラテン文字翻字システムの名であり、これらは中国語や韓国語などを対象とする際に有気音(韓国語学で激音とも)を区別した表記に、例えば有気音はPで無気音はBを用いるというようなことをしているに過ぎないかもしれない。語頭の濁音もとい有声音を区別しない言語たちだから。私は勉強不足なので考証を保留し、要点だけ読み取っていただきたい。
ここで、日本の漢字の音読み「呉音・漢音」の話に戻す(唐音に関しても僅かに後述する)。
必ずしも「"ぜ"や"び"から始まれば漢音」というわけではない。
連濁によって世が"ぜ"となる場合(観世音、現世)もあれば、毘のようにサンスクリット語の音写(荼毘、毘沙門)でも定番の文字の場合など、その音であっても漢音と推定しきれない字の音がある。
「毘(び)」の文字は、漢音が"ひ"である(一部辞書所載に依拠か)。
呉音における"B"の音についてしばらく説明する。
「凡」という字の読みは、誰もが真っ先に"ぼん"と答えるであろう。
だが、「凡例(はんれい)」のような読みもある。
「凡」の"ぼん"と"はん"の違いもまた、呉音か漢音か、という違いに尽きる。
「犯(はん)」には「女犯(にょぼん)」という読みがあり、「煩(はん)」にも「煩悩(ぼんのう)」という読みがあり、「飯(はん)」でさえ「浄飯王(じょうぼんのう)」と読む。
これだけ挙げれば、"han→bon"もとい時系列的には"bon→han"という音の変化が知られる。
呉音における"B"の音はほかにも「平(へい)」が「平等(びょうどう)」であるとか、「病(やまい)」は一般的に"びょう"と読むであろうに「疾病(しっぺい)」という単語もあることから、「疾(しつ)」の促音便に伴う「病(音符: 丙、漢音: へい)」が半濁音となって"しっぺい"と読むのである。
"hei→byou"は、先述の"ei→you"互換の法則に呉音の濁音化が加わっている。
なお、「平」を"ひょう"と読むことがあれば、これは「類推による慣用音」となる。
したがって、「評判」の「評(ひょう)」も慣用音である(もちろん呉音と漢音は「平」に同じ)。
漢音が"ei"のとき呉音が"you"となる例を本文中に2度は述べた(境と平)が、漢音が"ei"のとき呉音は必ず"you"となるわけではない。
例えば「西」は"せい→さい"であり、「麗・礼」も"れい→らい"と呉音では"ei→ai"の変化がある。
なお、現代中国語、普通話において「西」は"xi"であり、「麗・礼」は"li"である。
"ei→you"互換のものは日本でも一般的な「清(せい・しょう)」「明(めい・みょう)」などが中国語では"qing", "ming"であるなど、いわゆる唐音の"しん"や"みん"に類する。
ただし、"ng"という軟口蓋鼻音は古い仮名遣いだと"う"とされた一方で、現代では誰もが"ん"と、"n"という鼻音と同じようにしている。
なお、既述の「境」と「平」の現代中国語の発音、ピンインの表記とは何か。
「境」は"jing"で、「平」は"ping"である。
これらもまた呉音ei漢音you中華ing(日本の唐音in)の法則に準じている。
現代中国語に少ない発音が、頭子音としての"K"である。
よって、「境」がケイとかキョウとかの頭子音"K"として日本で読まれても、現代中国では頭子音がJかXかQかFかHに変わる(K→Hという頭子音の変化は、後述の「好」という字などが当たる)。
※逆に、現代中韓で頭子音"H"の漢字(好・海・韓など)が、古代日本は"H"の発音が無い(仮名の"は行"に相当する音の発音は古代P→中世F→近世~現代H)という前提で頭子音"K"として受容したという学説が大正頃からある。言い換えると、今日の日本に"は行"で音読みする漢字は今の中国や韓国で"P"や"B"や"F"の音の字が多い。字音仮名遣いで2モーラが"ふ"という漢字も、上古の日本では、入声音"P"に通じた"ぷ"で発音されたのではないか(法なら"ぴゃぷ・ぴょぷ"、合なら"がぷ"という発音が当時の音に近そう)。なお、元々が頭子音"H"でなかった可能性のある漢字が「含 (ごん・ゴム、かん・カム、がん)」であり、今の中韓では"han, ham"という発音ではあるが、仏典の漢訳では"āgama"に対して「阿含」とある通り、本来の中国か古い中国の一部地域では頭子音"h"ではなく"g"だったろうから日本はその音のまま受け入れたと見る。上古音研究では「含」を/*Cə-m-kˁəm/("カム"とか濁り気味の"カム"?)や/*ɡɯːm/と表記している。
最後に、日本の漢字の音読みにおける尾音(後ろの音、尾子音・韻尾)"う, u"の源流について示す。
既述の軟口蓋鼻音"ng (ŋ)"は多くの尾音"う"の音を生み出してきた。
この源流の漢字に続く漢字の頭子音が「か・さ・た・は行」のような清音である場合、連濁する性質がある。
次に、普通中国語には唐や宋あたりから失われた入声音"p"も、歴史的仮名遣いの"フ"を経て、現代に"う"と綴られる。
合"ガフ"や法"ハフ"などがこれに当たる。
この源流の漢字に続く漢字の頭子音が「か・さ・た・は行」である場合、"う"が促音となる性質いわゆる「促音便」があり、中でも「は行」は「ぱ行」に変わる。
この原理から、「合併"がっぺい"・合体"がったい"」などの発音が生まれる(「合法」に限っては"がっぽう"ならぬ"ごうほう"のまま)。
また、法"ハフ"は「法被(はっぴ)・法度(はっと)」という単語がこれに則るも、「法華(ほっけ)・法身(ほっしん)・法主(ほっす)」という読み方は、"ハフ"則ではなく"ほう"の"う"が促音便であるが、これについては中古音"pjop: ピョプ"に似た音・呉音"ホフ"に則している。
次に、その中古音・上古音で"w"、現代中国語で"ao"の発音の"o"にあたる箇所を日本の音読みで対応して"う"となる例もある。
代表例はご存知の方もいようが、「小"xiao"」や「好"hao"」や「道"tao"」などである。
この三例はみな、漢音も呉音も日本では"ou (ō)"の発音に終わる。
ほか漢音のみ母音が2つ続いて、呉音は"u"のみとなるものに「流・留(漢音: りゅう、呉音: る)」や「口・工(漢音: こう、呉音: く)」などがあるが、これらも中古・上古のスペルに"w"で結ばれる。
これらについては、続く漢字の音を濁音化させるなどの効能は基本的に無いが、もしあるならばおそらく、それら前述の"ng"や"p"の効能に対する類推であろう(例: 仏教の三身のうち報身="ほうしん"を"ほうじん"と読むなど・・・"報"は尾子音ngの漢字でないから日本伝来当初に連濁で伝わるはずもない)。
ほかは、日本で人工的(ある意味で人口的)に発生した「慣用音」としての例がある。
好例が「数(すう)」の"う"である。
なぜ数珠は"じゅず"と読むかといえば、この「数」が本来"しゅ"と読むことが正しいからである。
仏典を見ると、「算数」は"さんじゅ"と、「算(さん)+数(しゅ鼻音連濁)」で登場する。
要は数珠の"じゅ"もなぜこの発音かは自分に分からないのであるが、とりあえず「数"すう"」は本来"しゅ"あるいは"す"と読み、後に"う"が付いてきて成立したものと覚えられたい。
ほか、"すう"に当たる漢字である「枢・崇・趨」なども慣用音とされるが、個人的な検証は不足しているのでこれについては断定できない。
一方「修"しゅう"」は、仏教で「修行」という単語があるよう呉音で"しゅ"と読むが、これは時代が中国で時代が経つにつれ"う"が後からついてきて成立した、ある種「中国の慣用音・訛り」でもあり、日本にその状態で伝来したから漢音に当たる。
同様の字には「就(漢音: しゅう、呉音は"成就"のじゅ)」があるが、なんとこの字の発音は元々入声音の"k"がつかわれ、音の起源がチベット語らしい(これも検証不足)。
原版20151227 ←最初の3日くらいで大半の記述がされた。というか、発案した最初の1日で草案をまとめないと、これだけの情報は整理できなくなる。
2016年2月11日、ついでにもう1点、本文中に挿入すると話がややこしくなる漢字発音の互換例を挙げる。
日本では「肉(にく)・日(にち)」と発音される単語は、中学生までにその中国語発音を知った。
小学生の時に「回鍋肉(ホイ・コー・ロー)」で「肉(ロー)」を知り、中3ネット右翼時代に「日本(リー・ベン)」を知ったことで「日(リー)」と、共に日本とかけ離れた読み方に疑問を覚えた。
これについても答えは簡単である。
「肉(niku = ròu)」にしろ「日(nichi, niti = rì)」にしろ、入声音"k"や"t"が使われ、その音が落ちたり、頭子音"n"が"r"に変わってこのようになったといえる。
中古音から現代までの変遷を示そう。
「肉」は"nyuwk→nyuw→ryuw→rou"」となり、「日」は"nyit, nit→ni→ri"と変化した(n音がr音に変化するタイミングは不明なので必ずしもこうとは言い切れない)。
このように先述の「入声音"k"や"t"が落ち」、「頭子音"n"が"r"に変わった」といえる。
ここで、当記事序盤にある「漢音"だ・じ・ぜ"と呉音"な・に・ね"」の互換については、中国ピンインと日本音読みで噛み合わないようではあるが、これが広東語や閩南語の場合、「肉(niku)」は"juk, jik"であり、「日(nichi, niti)」も"jit, jat"というところ、"ni"の音が"j*"に変化している「普遍的法則」は符合した。
また、ラテン語・ドイツ語的な"j"と"y"の繋がりが、韓国語・朝鮮語の発音「肉"yuk"」に見られる。
「肉」の音読みは実に興味深く奥深いことが分かった。
韓国・朝鮮語の「日"il"」にせよ、"nit→jit→yit→it→il"と、彼の言語には入声音"t"が全て"l"となる法則があるため、これも通じる(古来の朝鮮人が漢字の入声音"t"を"l"のように聴き取った)。
頭子音"n"を源流として"n→j", "n→r"ほか、"n→j→y"もあるといった枝分かれ・末葉・末流はあれ、日本の「肉"niku"」と「日"nichi, niti"」だけは中古音・上古音の往古を今に残している。
ほか、同様の例に「二」や「爾(簡化: 尔)」という字が挙げられる。
これらは日本で呉音が"に"、漢音が"じ"と読むが、中国では「一二三"イー・アル・サン"」が日本の小学生でも知っている漢数字の発音や、「首爾」は韓国の首都であるソウル"서울"を音写するなど、"er (ěr)"という発音に変わっていることが分かる(まあ"er"は耳で聞くと"アル"よりも"オー"と言っているように聞こえるが)。
これも日本呉音の頭子音"n"と中国普通の頭子音"r"の互換を裏付ける。
※「安息=アルサケス」という古い中国での音写は、「安」の読みになかなか先ほどのNR互換を感じさせるが、現代中国での「阿爾沙克」という音写も、"爾(尔)"の字に同じくNR互換が見られて面白い、余談だが「息」は日本で"そく"と読むが、あの音写でも入声音"k"が残っていた。
ほか「辱(漢音: じょく)」は、仏教用語・呉音で"にく"と発音(忍辱"にんにく"・罵辱"めにく"・毀辱"きにく"など)され、ピンインでは"ru (rù)"と綴り、別記や他言語に"ju, yuk, yok"などもあるが、先述された頭子音N→RやN→J・Yと同じことである。
「辱」を音符としている「耨」は、仏教用語に「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら・・・、サンスクリット音写)」とあるよう、"のく"と発音するけれど、辞書によっては"呉音: ぬ、漢音: どう"とあり、ピンインや他言語でも"nou, nòu, nau, nu, nậu"など、珍しく上古音以来の頭子音"n"を、日本呉音と同様に維持している("のく"にあたる発音は日本仏教読みのみ)。
最後になるが注意事項を断っておく。
当記事で「中古音・上古音」として度々述べてはいるが、もちろん絶対的に、どこかの辞書などに載っている中古音や上古音とされる音韻が、正確に時期や地域はともかくかつての中国大陸内で使用されていたということを信用しているものではない。
あくまでも、自説の客観性向上のため援用したり、真実(?)の中古・上古音韻を想像する上での参考とすべく、英・中Wiktionaryを確認する。
「自然(しぜん)」と「男女(だんじょ)」に、別の読み方があることはご存知であろうか。
そう、「自然薯(じねんじょ)」や「老若男女(ろうにゃくなんにょ)」に見られる差である。
その差は単なる訛りであろうか?
これは端的にいえば「漢音」と「呉音」の差である。
"しぜん・だんじょ"組は漢音であり、"じねん・なんにょ"組は呉音である。
「自」は一般的にこの呉音かつ濁音の"じ"と読まれる。
「自」を漢音かつ清音の"し"と読むのは、いわゆる中国の書で仏教でない道教や儒教での読み方の影響で"しぜん"と読む。
一方、"じねん"の場合、「然」を呉音である"ねん"と読む熟語は、「天然」くらいしか一般的な例がなく、一応IMEで変換できるものとして「忽然」などがある程度だ。
だが、音符となれば「燃焼」の燃えるという字が一般的に"ねん"と読む。
ともかく、要は漢音"ぜん"と呉音"ねん"の差は、「特定の単語のみに現れる訛り」ではなく「普遍的法則」である。
これは"ぜ"と"ね"の互換である。
"だんじょ"の"だ"に対する"なんにょ"の"な"、また"じ"と"に"も同じ普遍的法則が合う。
余談だが、「境内(けいだい)」という読み方は、「境」も「内」もそのような読み方の単語例はほかにあまり無いので、初めて見たとき・普段見ない中で久々に見る時には大概「境内(きょうない)」と読む人も多かろう。
これも前者が漢音であり、後者が呉音である。
「境(さかい・けい・きょう)」はいわゆるeiとyouの互換であるが、これは音韻学入門の2014年7月の記事で当時なりの解説がされている
「内(うち・だい・ない)」は先ほどと同じ法則によるが、"だい"読みの単語例は「お内裏」か。
"だDA"と"なNA"は歯茎音で共通し、"じょJO"と"にょNYO"は硬口蓋音で共通し、"ぜZE"と"ねNE"は歯茎音で共通する。
例えば"ぜ"は有声歯茎破擦音であり、"ね"は有声歯茎摩擦音であるといった、"だ・じ・ぜ"等の互換法則漢音は大概「部位名称+破擦or破裂音」に該当する。
とりあえず、ここで漢音"だ・じ・ぜ"と呉音"な・に・ね"に発音法則の一貫性があることを理解されたい。
なお、"ぬ"や"の"が呉音なのか漢音なのか、また片方に当てはまる場合もう片方がどういう音になるか、少し説明する。
「奴・怒」は「奴隷(どれい)・憤怒(ふんど)」という漢音、「奴婢(ぬひ)・憤怒(ふんぬ)」という呉音の違いがあり、"の"という発音に至っては、音読みでの例が未見であるので説明不能か。
次に例題を挙げよう。
「美女(びじょ)」を呉音読みするとどうであろうか。
すなわち、"みにょ"となる。
前述の法則上、女"じょ"が"にょ"となるのみならず、"び"までもが"み"と変化した。
これは過去記事「BM互換」の中で多くの例より解説しているので参照されたい。
「BM互換」は、呉音がMの時、漢音がBとなる法則であるから、呉音と漢音どちらかのみ判明している漢字の音がBの音だとしても、必ず漢音に可能性は限られない(後述)。
後々、中国本土では多くの漢音B音がM音に発せられている(日本の呉音B音は後述「毘"び"」が"Pi"、「平"びょう"」が"Ping"になるよう、P音が多い。これは有声音と無声音の違いであって現代中国の口語では個々の字と条件によってB音にもなる場合がある)。
今の中国本土の普通話において、B音の漢字はほぼ無くなってしまった(後述する「本」は別)。
サンスクリット語には漢字の音写で「菩・仏・毘」などが当てられるB音の単語が多い。
今の中国本土では過去記事にも書いたが、「仏陀(ぶっだ"Buddha")」が"Fo Tuo"となり、「菩提(ぼだい"Bodhi")」が"Pu Ti"となるなど、しかもD音のT音化までセットに見られ、頭子音のB音の消失をはっきりと見ることができる。
これでは、サンスクリット語「音写」に対する、音韻上の再現性に欠いてしまう。
なお、日本仏教に「仏陀(ぶっだ)」という発音は伝統的にされないほか、"っ"という促音の後に"だ"というD音がつく熟語はほぼ存在しない(この発音自体が外来語に対して用いられるようになるなど、日本語には近現代まで無かった)。
"ば"の音の漢字なら、サンスクリット音写の場合「婆・跋」などが用いられる。
これにしてもP音に変わっているから、「婆羅門(ばらもん"Brahmana")」も"Po Luo Men"となってしまう(跋は・・・)。
"べ"に関しては該当する音が漢字にもサンスクリット語にも見づらい。
"ヴェ"は本質的に異なるし、ヴェーダ(韋駄・吠陀)は仏教と関係がなくなってしまう。
続いて、諸語における漢字B音読みの存在を確認しよう。
ベトナム語は不明であるが、「ベトナム"Vietnam"」はご存知の通り「越南(えつなん)」と漢字で書く。
これは日本の古い字音でいえば"ゑつなむWetsu Namu"となるが、それを更にWとVの互換性、入声音の考慮などをすれば"Vet Namu"となり、"Vietnam"と瓜二つのスペルに変わる。
このようであるから、普通の人もとい2年前までの私は「越南」で「越」と"Viet"に似ている点を感じられないであろうが、実は日本語と疎通するものがある。
ベトナム語を始めとして、韓国語や中国方言(広東語・閩南語など)は伝来当初の音を多少の範囲で残しているから、参考となる部分が多い。
韓国語にもまだB音は残っているようであるが、ローマ字表記の基準が変わるとPに綴られる場合も多い。
私が中3あたりの頃は「釜山(プサン)」の表記が"Pusan"と"Busan"に分かれる理由が気になっていたものの、これは"Pusan"がマッキューン=ライシャワー式で、"Busan"が文化観光部2000年式という違いである。
前者M-R式は日本統治時代から不変であるが、後者2000式は韓国政府による改良が度々加えられる中で2000年に確定した表記法であり、現行のローマ字・ラテン文字表記の基準となる。
※後の加筆となる。このB, Pの別は有声・無声の両唇破裂音であり、この有声音や無声音はG, Kなどのいわゆる濁音と清音に相当するが、日本の連濁のように、前後の音など脈絡に応じて有声音と無声音が入れ替わったりする。M-R式や2000式といったローマ字表記法ごとの違いは、ここで決定される。
なお、中国のピンイン方式の表記と、ウェード式という表記法にも、BとPのつづりの差がある。
例えば、「本」のピンインは"ben"、ウェード式では"pen"であるが、韓国のM-R式"pon"、2000式"bon"とも「本」にB・Pの違いがあるが、どちらも実際にBの発音をしている。
今日の日本でそれら言語のカタカナ表記をするにも、大概は両言語の現行表記法(ピンインと2000式)に基づいているから「日本」は中: リーベン"Ri Ben"、韓: イルボン"Il Bon"と綴られる。
※「語中に連濁もとい有声音化が現れただけ」と言われれば、それまでかもしれない。ピンインとかウェード式とかというのはラテン文字翻字システムの名であり、これらは中国語や韓国語などを対象とする際に有気音(韓国語学で激音とも)を区別した表記に、例えば有気音はPで無気音はBを用いるというようなことをしているに過ぎないかもしれない。語頭の濁音もとい有声音を区別しない言語たちだから。私は勉強不足なので考証を保留し、要点だけ読み取っていただきたい。
ここで、日本の漢字の音読み「呉音・漢音」の話に戻す(唐音に関しても僅かに後述する)。
必ずしも「"ぜ"や"び"から始まれば漢音」というわけではない。
連濁によって世が"ぜ"となる場合(観世音、現世)もあれば、毘のようにサンスクリット語の音写(荼毘、毘沙門)でも定番の文字の場合など、その音であっても漢音と推定しきれない字の音がある。
「毘(び)」の文字は、漢音が"ひ"である(一部辞書所載に依拠か)。
呉音における"B"の音についてしばらく説明する。
「凡」という字の読みは、誰もが真っ先に"ぼん"と答えるであろう。
だが、「凡例(はんれい)」のような読みもある。
「凡」の"ぼん"と"はん"の違いもまた、呉音か漢音か、という違いに尽きる。
「犯(はん)」には「女犯(にょぼん)」という読みがあり、「煩(はん)」にも「煩悩(ぼんのう)」という読みがあり、「飯(はん)」でさえ「浄飯王(じょうぼんのう)」と読む。
これだけ挙げれば、"han→bon"もとい時系列的には"bon→han"という音の変化が知られる。
呉音における"B"の音はほかにも「平(へい)」が「平等(びょうどう)」であるとか、「病(やまい)」は一般的に"びょう"と読むであろうに「疾病(しっぺい)」という単語もあることから、「疾(しつ)」の促音便に伴う「病(音符: 丙、漢音: へい)」が半濁音となって"しっぺい"と読むのである。
"hei→byou"は、先述の"ei→you"互換の法則に呉音の濁音化が加わっている。
なお、「平」を"ひょう"と読むことがあれば、これは「類推による慣用音」となる。
したがって、「評判」の「評(ひょう)」も慣用音である(もちろん呉音と漢音は「平」に同じ)。
漢音が"ei"のとき呉音が"you"となる例を本文中に2度は述べた(境と平)が、漢音が"ei"のとき呉音は必ず"you"となるわけではない。
例えば「西」は"せい→さい"であり、「麗・礼」も"れい→らい"と呉音では"ei→ai"の変化がある。
なお、現代中国語、普通話において「西」は"xi"であり、「麗・礼」は"li"である。
"ei→you"互換のものは日本でも一般的な「清(せい・しょう)」「明(めい・みょう)」などが中国語では"qing", "ming"であるなど、いわゆる唐音の"しん"や"みん"に類する。
ただし、"ng"という軟口蓋鼻音は古い仮名遣いだと"う"とされた一方で、現代では誰もが"ん"と、"n"という鼻音と同じようにしている。
なお、既述の「境」と「平」の現代中国語の発音、ピンインの表記とは何か。
「境」は"jing"で、「平」は"ping"である。
これらもまた呉音ei漢音you中華ing(日本の唐音in)の法則に準じている。
現代中国語に少ない発音が、頭子音としての"K"である。
よって、「境」がケイとかキョウとかの頭子音"K"として日本で読まれても、現代中国では頭子音がJかXかQかFかHに変わる(K→Hという頭子音の変化は、後述の「好」という字などが当たる)。
※逆に、現代中韓で頭子音"H"の漢字(好・海・韓など)が、古代日本は"H"の発音が無い(仮名の"は行"に相当する音の発音は古代P→中世F→近世~現代H)という前提で頭子音"K"として受容したという学説が大正頃からある。言い換えると、今日の日本に"は行"で音読みする漢字は今の中国や韓国で"P"や"B"や"F"の音の字が多い。字音仮名遣いで2モーラが"ふ"という漢字も、上古の日本では、入声音"P"に通じた"ぷ"で発音されたのではないか(法なら"ぴゃぷ・ぴょぷ"、合なら"がぷ"という発音が当時の音に近そう)。なお、元々が頭子音"H"でなかった可能性のある漢字が「含 (ごん・ゴム、かん・カム、がん)」であり、今の中韓では"han, ham"という発音ではあるが、仏典の漢訳では"āgama"に対して「阿含」とある通り、本来の中国か古い中国の一部地域では頭子音"h"ではなく"g"だったろうから日本はその音のまま受け入れたと見る。上古音研究では「含」を/*Cə-m-kˁəm/("カム"とか濁り気味の"カム"?)や/*ɡɯːm/と表記している。
既述の軟口蓋鼻音"ng (ŋ)"は多くの尾音"う"の音を生み出してきた。
この源流の漢字に続く漢字の頭子音が「か・さ・た・は行」のような清音である場合、連濁する性質がある。
次に、普通中国語には唐や宋あたりから失われた入声音"p"も、歴史的仮名遣いの"フ"を経て、現代に"う"と綴られる。
合"ガフ"や法"ハフ"などがこれに当たる。
この源流の漢字に続く漢字の頭子音が「か・さ・た・は行」である場合、"う"が促音となる性質いわゆる「促音便」があり、中でも「は行」は「ぱ行」に変わる。
この原理から、「合併"がっぺい"・合体"がったい"」などの発音が生まれる(「合法」に限っては"がっぽう"ならぬ"ごうほう"のまま)。
また、法"ハフ"は「法被(はっぴ)・法度(はっと)」という単語がこれに則るも、「法華(ほっけ)・法身(ほっしん)・法主(ほっす)」という読み方は、"ハフ"則ではなく"ほう"の"う"が促音便であるが、これについては中古音"pjop: ピョプ"に似た音・呉音"ホフ"に則している。
次に、その中古音・上古音で"w"、現代中国語で"ao"の発音の"o"にあたる箇所を日本の音読みで対応して"う"となる例もある。
代表例はご存知の方もいようが、「小"xiao"」や「好"hao"」や「道"tao"」などである。
この三例はみな、漢音も呉音も日本では"ou (ō)"の発音に終わる。
ほか漢音のみ母音が2つ続いて、呉音は"u"のみとなるものに「流・留(漢音: りゅう、呉音: る)」や「口・工(漢音: こう、呉音: く)」などがあるが、これらも中古・上古のスペルに"w"で結ばれる。
これらについては、続く漢字の音を濁音化させるなどの効能は基本的に無いが、もしあるならばおそらく、それら前述の"ng"や"p"の効能に対する類推であろう(例: 仏教の三身のうち報身="ほうしん"を"ほうじん"と読むなど・・・"報"は尾子音ngの漢字でないから日本伝来当初に連濁で伝わるはずもない)。
ほかは、日本で人工的(ある意味で人口的)に発生した「慣用音」としての例がある。
好例が「数(すう)」の"う"である。
なぜ数珠は"じゅず"と読むかといえば、この「数」が本来"しゅ"と読むことが正しいからである。
仏典を見ると、「算数」は"さんじゅ"と、「算(さん)+数(しゅ鼻音連濁)」で登場する。
要は数珠の"じゅ"もなぜこの発音かは自分に分からないのであるが、とりあえず「数"すう"」は本来"しゅ"あるいは"す"と読み、後に"う"が付いてきて成立したものと覚えられたい。
ほか、"すう"に当たる漢字である「枢・崇・趨」なども慣用音とされるが、個人的な検証は不足しているのでこれについては断定できない。
一方「修"しゅう"」は、仏教で「修行」という単語があるよう呉音で"しゅ"と読むが、これは時代が中国で時代が経つにつれ"う"が後からついてきて成立した、ある種「中国の慣用音・訛り」でもあり、日本にその状態で伝来したから漢音に当たる。
同様の字には「就(漢音: しゅう、呉音は"成就"のじゅ)」があるが、なんとこの字の発音は元々入声音の"k"がつかわれ、音の起源がチベット語らしい(これも検証不足)。
原版20151227 ←最初の3日くらいで大半の記述がされた。というか、発案した最初の1日で草案をまとめないと、これだけの情報は整理できなくなる。
2016年2月11日、ついでにもう1点、本文中に挿入すると話がややこしくなる漢字発音の互換例を挙げる。
日本では「肉(にく)・日(にち)」と発音される単語は、中学生までにその中国語発音を知った。
小学生の時に「回鍋肉(ホイ・コー・ロー)」で「肉(ロー)」を知り、中3ネット右翼時代に「日本(リー・ベン)」を知ったことで「日(リー)」と、共に日本とかけ離れた読み方に疑問を覚えた。
これについても答えは簡単である。
「肉(niku = ròu)」にしろ「日(nichi, niti = rì)」にしろ、入声音"k"や"t"が使われ、その音が落ちたり、頭子音"n"が"r"に変わってこのようになったといえる。
中古音から現代までの変遷を示そう。
「肉」は"nyuwk→nyuw→ryuw→rou"」となり、「日」は"nyit, nit→ni→ri"と変化した(n音がr音に変化するタイミングは不明なので必ずしもこうとは言い切れない)。
このように先述の「入声音"k"や"t"が落ち」、「頭子音"n"が"r"に変わった」といえる。
ここで、当記事序盤にある「漢音"だ・じ・ぜ"と呉音"な・に・ね"」の互換については、中国ピンインと日本音読みで噛み合わないようではあるが、これが広東語や閩南語の場合、「肉(niku)」は"juk, jik"であり、「日(nichi, niti)」も"jit, jat"というところ、"ni"の音が"j*"に変化している「普遍的法則」は符合した。
また、ラテン語・ドイツ語的な"j"と"y"の繋がりが、韓国語・朝鮮語の発音「肉"yuk"」に見られる。
「肉」の音読みは実に興味深く奥深いことが分かった。
韓国・朝鮮語の「日"il"」にせよ、"nit→jit→yit→it→il"と、彼の言語には入声音"t"が全て"l"となる法則があるため、これも通じる(古来の朝鮮人が漢字の入声音"t"を"l"のように聴き取った)。
頭子音"n"を源流として"n→j", "n→r"ほか、"n→j→y"もあるといった枝分かれ・末葉・末流はあれ、日本の「肉"niku"」と「日"nichi, niti"」だけは中古音・上古音の往古を今に残している。
ほか、同様の例に「二」や「爾(簡化: 尔)」という字が挙げられる。
これらは日本で呉音が"に"、漢音が"じ"と読むが、中国では「一二三"イー・アル・サン"」が日本の小学生でも知っている漢数字の発音や、「首爾」は韓国の首都であるソウル"서울"を音写するなど、"er (ěr)"という発音に変わっていることが分かる(まあ"er"は耳で聞くと"アル"よりも"オー"と言っているように聞こえるが)。
これも日本呉音の頭子音"n"と中国普通の頭子音"r"の互換を裏付ける。
※「安息=アルサケス」という古い中国での音写は、「安」の読みになかなか先ほどのNR互換を感じさせるが、現代中国での「阿爾沙克」という音写も、"爾(尔)"の字に同じくNR互換が見られて面白い、余談だが「息」は日本で"そく"と読むが、あの音写でも入声音"k"が残っていた。
ほか「辱(漢音: じょく)」は、仏教用語・呉音で"にく"と発音(忍辱"にんにく"・罵辱"めにく"・毀辱"きにく"など)され、ピンインでは"ru (rù)"と綴り、別記や他言語に"ju, yuk, yok"などもあるが、先述された頭子音N→RやN→J・Yと同じことである。
「辱」を音符としている「耨」は、仏教用語に「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたら・・・、サンスクリット音写)」とあるよう、"のく"と発音するけれど、辞書によっては"呉音: ぬ、漢音: どう"とあり、ピンインや他言語でも"nou, nòu, nau, nu, nậu"など、珍しく上古音以来の頭子音"n"を、日本呉音と同様に維持している("のく"にあたる発音は日本仏教読みのみ)。
最後になるが注意事項を断っておく。
当記事で「中古音・上古音」として度々述べてはいるが、もちろん絶対的に、どこかの辞書などに載っている中古音や上古音とされる音韻が、正確に時期や地域はともかくかつての中国大陸内で使用されていたということを信用しているものではない。
あくまでも、自説の客観性向上のため援用したり、真実(?)の中古・上古音韻を想像する上での参考とすべく、英・中Wiktionaryを確認する。
