2015年9月18日金曜日

類聚(3) ~ 「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」篇

*横野要文類聚 第三篇・前節*
夫(そ)れ、横野真史が実父は慈父にてやあるらん、慈父にてやあらざるらん。
覺えざりしかば、暫く物を思ひて要文を示さん、云々。
斯くて此處(こゝ)に明文(みやうもん)聚まりぬ。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」と、書きたい放題の題である。
例えば2007年4月の頭に母との別居が始まった頃から暫く経って、父親は毎朝早くから料理して朝食を用意するなど、この辺りはどういった決心からか、真面目であった。
毎日しっかりとした朝食を取って学校に行けることは一つの喜びでもあり、何でもないように思うかもしれないが、同じ朝を迎えるという点では、不登校の予防の一助になっていたかもしれない。
※母親の頃は不登校期間含め小4までシリアル、小5別居まではスープやトーストが多かった。

今回聚められる要文の中には、私の物心が付く前の父親の態度について母親が語ったことも含まれ、その口述内容が仮に事実とすれば、その時から大きく子育ての意識を変えようとしたことは見て取れるが、やはり次第に疑心暗鬼など、修復・橋渡しをする弟2人も2008年末の姫路訪問以降埼玉への帰還を拒んでいるため、およそ私にとって人生相談の相手にならない父親、父親にとっても教育相談の相手(打ち解けた同僚や知り合いやご近所さん、友人や親戚など)が誰もいないという、互いに孤立無援の状況に陥ってしまった。
疑心暗鬼の要因としても、私が寡黙で朴訥だから、何かの必要性の訴えや相談などを、仕事も家事こなす父親に話しづらい面が強かったからであり、それが互いの不満を増長させたようで、初めていじめの相談をした2010年春休み頃は、ほぼ無関心のようであったから、その後も全く相談をする機会など無かった。
互いに寡黙であるばかりか、大事な局面でも言葉が足らず、摩擦を生むだけ。

それからも不和が進み、同年10月の家庭内別居、同年12月から始まる人生最後の不登校など、社会的には悲劇が続くこととなり、私にとって唯一の頼みであった戸籍上家族でない母・弟2人(姫路訪問以来顔を合わせず)を求め、2011年4月18日の豊橋母宅への小旅行もとい家出に畢った。
父が単身で住まうはずの住居には、2012年8月に豊橋追放となった弟が住み始める。





(前略) 母親からこういう情報が告げられた。私が物心のつかない小さな頃のこと、鴨川(父方)の祖父母宅へ父親が独断で私を連れていき、一週間ほど置いていったそうだ。私が鴨川より返送された折、父親は母にこう話したらしい「自分(父)は幼い頃いい子で利口だったらしいが、この孫(私)は悪い子で育てられないと母さんたち(父方の祖父母)が言っていた」。確証のない話で、当然両親の名前すら知らないような幼少の昔話など、俄かには信じ難い。
この他、あの父親がとんでもなく子供(私)を除け者にしていた、父親として失格であったなどの例を母親から多く挙げられたが、全ての例が生まれる前・物心のつかない時のことである。私が産まれる時の産婦人科において、間もなく何かが済むという時に待ちきれず、一人そばのコンビニに移動して飲み物を買ったりタバコを吸っていたりしたそうだ。私が社会的な判断能力を備えた年頃(小5別居以降)に父親を見ても、そのような様子は一度も無かったのだが、それぞれの時期では状況がどう違うのだろうか…2015/06/26記事における07/03追記

Mくんのお父さんは毎年の4月に誕生日を向かえます。ある年のこと、その4月になりましたが、Mくんの記憶では肝心の日付が曖昧で、「4日だったかなぁ?5日かも、6日?」と自分では答えが掴めませんでした。自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました。思いもよらない返答に、Mくんは困ってしまい、「そっか」とだけ言い淀んで、それ以上聞き返す気力も失ってしまいました。Mくんとしては、世間の浅い即物的な親孝行なんて考えていませんので、見当違いな返答が心残りのまま誕生日の解答も心得ずして、その1年後の4月に家を出てしまい、今日まで二度とお父さんの家に帰ることはありませんでした。…2015/06/26

某クリニックに数度カウンセリングを受けに行ったのも、私が自発的に父親に「精神科で診てもらいたい」と尋ねた経緯があるが、当時の私は年下の幼児ばかりいる小児科的なものでなく、成人も受診する精神科を期待していたが、当時は上手く口に出来なくて「本当にここなの?」としか聞けず。そのカウンセリングも、私が小3の頃に児童相談所で受けた内容と同じようなIQの検査だとか、私が中1になって受けるに足らないメニューであったことに、冗長で回りくどく嫌気がさした。担当の30前後ぽっちゃり女性の作り笑いを絶やさぬそれ (中略) 父親もまあ、元々家から少し離れたここに連れるのも面倒だったのだろうし、乗り気でない私の態度も相俟って、数度のみ(多く見積もって4度)の受診となった。最後の回が、中1の終わりも近い頃・・・平成21"年度"末のようなものだ。その後、新しい精神科などの手引きが一切ないまま、「診てもらいたい」の願望が潰えた。父親に物を選ばせる(塾など、子供の教育の補助の場の斡旋、鑑定する眼が問われる)ことは、どこかアテに出来なかった記憶が少々残っている。教育の方面、家庭のケアには疎いようだった、それはこの件に限らないけれど…2015/06/10

父親と二人暮らしになって、父親という者は私に放任の度が過ぎていた。こと、PCという高価なおもちゃに際しての指導が皆無な点は驚きである。日本生命勤務で、IT関連だかの役職ではないのか?部屋には立派にOracleだかの資格認定証らしきものが飾られていたはずである。本棚にも、Windows云々とある大判の本が並んでいたと記憶する。斯様な人間が私のPC利用にまで無関心とは、父親としての意識どころか、その職に携わる人間としての気質さえ欠いてないか?母親もそうだが、職業というものは金儲けの道具に過ぎないようである。遣り甲斐だとか、本心には仕事の楽しみなど微塵も持ちえてないと見える。小5の時に父親に (諸例記述等中略) 何にせよ、両親とも放任が過ぎて放棄とさえ言える状態で、当時の私も父親に関わられたくない気持ちの反面、何か拍子抜けした面もあった。プライバシーには触れず、趣味には全面的に協力する(やらせすぎて堕落させるのは別問題)か、自分が詳しいならば助言をするなどの采配が親として肝要だ。両親、まして悪妻娶りし父親は別居に伴う父子生活をも想定して、もっと子育ての信念を婚前、否、求婚期より持っておくべきだった。 (後略)…2015/04/27



(父に)捨てられても(父を)妄信した私


自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました…2015/06/26

冬休みに母が当時住んでいた姫路に私や下の弟と共に遊びに行った際、私は予定通り埼玉県内に帰る(父親思いの俺)と言っても、弟達は施設帰りを厭い、母の姫路に移住する腹を決める…2014/08/07



(弟に)捨てられても(弟を)偏愛した父


注釈: 例えば家の玄関先の壁や、キッチン空間(リビングじゃない、ダイニング?)対面の壁に、弟2人の児童養護施設・通学先における思い出だか作品(絵や書など)をベタベタ貼っていた。まあ当時の私としても自分の創作物だとか貼られても困るのだろうが、時折、何となしに疎外感さえ覚えていた。姫路遠征時に自分を捨てた人間を愛し続け、姫路遠征でも傍に居続けると誓った人間を等閑にすることは、本末の顛倒と言わずして何と言う。父の顛倒ぶりは、傍に居れば随所に感じられよう。果たしてその偏愛は虚妄に終わらず、2012年8月に上の弟との再会が叶った。その末路が、以下のメールなどである。

父親もあの弟への偏愛故に金銭感覚が崩壊してるに違いありません。2012年8月の弟の追放以来、父親はあの弟にPC一台買い与えたが弟は壊し、スマホ一台買い与えればすぐに無くしたとも同メール内に書いてありました。そして「どうしたものだろうか」と当惑の色を表しています。一方の私は成績優秀でもあまり愛されなかった上に、いじめの相談は忙しい父親相手に我慢し続け、ある日思い切って話しても関心を示さなかったり、差がありすぎます。故に、偏愛と呼んでいるのです。PCは2011年7月買った物を、携帯は2010年7月に買った物を今でも大事に使い続ける私とあの弟では歴然とした違いがあります。全然進歩しないあの弟じゃ無駄金注いでも何もいいことはないはずですが。父親も為すすべなく求められるがまま従うという典型的クズ親でしょう。逆に母親もあの弟の悪行を私に問われれば毎回感情論で言い逃れしてばかりで、なぜ両親共にあんな弟を庇うのか、気が知れません…2014/10/02



付録 - 父親の放言メールと私の諫言メール
引用元・一言一句への感想は右記リンク先http://masashi.doorblog.jp/archives/40506334.html

題:転入届 - 母宛 - 2014年10月1日22時28分

今日出しました

○○(上の弟の名前)には聞いてないけど、豊橋に戻りたいとは言ってないので、このままでいいんじゃないかなぁ

そちらはお母さんの面倒も見ないといけないし

そもそも、一方的に転出届を出したり、国保脱退させたりしたのはそちらだし

ニキビのことは、こっちに来た当初は気にしてて、薬を買って欲しいと言ったので、何回か買ってあげたんだ

顔をしげしげと見たわけじゃないから良くなったかどうか分からないけど、ここ一年くらいは何も言わなくなったので気にしてないんじゃないかなぁ

そのかわり、金が欲しいからバイトしたいとか、もう一度パソコン買ってくれとは言ってるけどね

バイト先はコンビニか本屋がいいと言ってる

金は週に三千円渡してるけどね

学校にも行ってなかったので、勤まるもんだろうか?

パソコンは過去二台壊したし、スマホ一台買ってあげたけど、すぐ無くしたんだ

だから、これもどうしたもんだろうか?




題:諫言 - 母携帯機より送信 - 2014年10月2日3時 (15年6月編)

バイトなんて今まで甘ったれて性根の腐った自堕落な彼に勤まるはずもなきこと、赫々明々だ。
そして彼自身、そんな過去の例と今の自分を鑑みてないからこそ、そんな無責任な欲望からくる「バイトしたい」発言などが口を衝いて出てくるのである。
母親も甘やかして、父親も週に三千円を渡すような麻痺状態そのものの感覚なら、自分にも非があることを自覚し、改心せねばならないが、もはや彼には手遅れだ。
今まで適切な教育を怠ったことを両親は猛省し、子供に甘やかしの限りを尽くさせる方がいいほど。
金銭的に理不尽な要求をされても快諾し続けてしまおう。

次いで、前言撤回のようだが彼にPCは不要だろう。テレビや他の娯楽でも足りよう。
スマホにしても、彼は2011年中にXperiaを大破させる凶行に至っている。
PCにしてもスマホにしてもただゲームやネット閲覧などの用途に終始するので、高価な玩具に過ぎない。
高度な使い方は一切体得していない。
いわんや短時間で破壊することをや。然もありなん。

何より自分の子供の非常事態だし、案ずる前に然るべき対応もあった。
両親による過去の愚策は枚挙に遑なきもので、一つでも挙げるに躊躇う。
十数年分の過ちは、未来永劫に取り戻せない。
私からアドバイスできることは今のところこれで限界だ。



その他 (母親に関しても含む)

・父親は私を「あの人(母)と似ているよ」と言ったり、母親も私に「パパとおんなじこと言うね」と稀に放言する。親として、互いの嫌いな人間に子供を重ねるというのはどうなのであろうか、ましてや私から見れば二人とも肉親であり、両親同士はただの他人同士ではない。困ったら、嫌いな人の存在により子供へレッテルを貼る。各々の発言をプラスに取ろうと思えば取れなくもないが、やはり両親ともそんな意図は微塵も無く言っているのだから、プラス思考は歪曲・逃避思考であり、取り違えになる。親としての見識や言葉の含蓄など絶無である両親に千子何人が尊敬しよう。私は諫言を続ける。

・母親にしても、当記事に見る父親にしても、当人らが社会的にどうであっても、子供は3人悉く社会的な能力が欠如してしまった。これは広く世間を見て、そんな親子の絶対的対象など起こり得ない。特に、上記2014年10月メールで話題の上の弟を思えば、見るに堪えない惨状である。その中で私は、戸籍上の他人である実母の家に居候しながら、子供を蕩かすダメ親("ダメ"という言葉は使わないようにしているがここでは伝わりやすく使う)の影響を受けないように求道と修行に生きている。上の弟は今もゲームライフに生きているのか。親は子に不満を持ち、子は親に不満を持ち、夫婦もまた互いに反発することを見れば、親子も夫婦も而二不二とはこのことである。

・私は中2の一学期の中間テストで著しく順位が落ち、31位だったと記憶する。それ以前は学年に110~130人いる内の20位前後であったところ、30位以下は一度もなかった。ショックだったので、何となく父親に「中2に上がってから勉強量を増やしたのに落ちた」という旨を強調しつつ尋ねてみると、当ての外れた答えが返ってきた。「みんなもっと勉強してるから」などと、無知をひけらかしてきた。「勉強量を増やした」の一言を、絶対と相対の二義を弁えない父は逆で取ったのである。現代の理屈が強い子供にそんな言葉は通用しないし、仮に子供に対する教育的方便でそう言うにも、子供の機・根を知らない無知の不徳(子供への慈悲なきが為の精神的指導力の欠如)をかえって証明している。第一に、父の言う「みんな」も、何を見て「みんな」という偶像が生まれるか。教育現場か、テレビ画面か、創作文学か、脳内の形成か。それに、勉強しろと遠回しに促すだけで、実質性に欠く。私は「相対的に多く勉強」した結果を述べたというのに。もちろん勉強量が成績上昇の絶対条件ではないからこそ、懐疑せざるを得ない。なぐさめてもらうか良い形で励ましてもらうことを内心で期待したろう当時の私は、ただ幻滅し、どこにも心の頼りや助けが無いと絶望したろう。



不徹底を徹底するから、父親に人生相談だとかということは、何ら期待ができなかったと今までの要文などに書かれる。完璧な答えでなくとも、子供を知らないために子供の心に通じない言葉しか発せられぬ父親に親の徳も資格もない。いじめ・人間関係のほか、勉強・塾に関連するあらゆる子供の思考など、父親は興味もなければ、話しても碌な答えを返さず。仕事一辺倒で、休日は友人なき楽器趣味に耽っているボ○親父もまた、母親と等しく親として失格であろうし、私ほど賢い子供また、彼らの子に相応しくない。こんな両親にお似合いな子供は、煎じ詰めてもあの上の弟くらいであるが、彼であっても母との争いは絶えなかった。

過去に、「夫婦は家の柱」と言った。子供は世間に言う「子は鎹(かすがい)」であるものの、決裂するような夫婦で、揺れ動いた柱はボロボロならば、鎹も外れてしまう。現に、家庭の家庭らしき様相は、夫婦の不仲によって早く崩れている。


2015年9月13日日曜日

類聚(2) ~ 「母の普遍的な精神状態」篇

*横野要文類聚「母の普遍的な精神状態」篇・前節*
夫(そ)れ、横野真史は能(よ)く己が母を憐愍(れんみん)せられ、好き慈子にあらせらる。
故に能く母を諌めて、甚だ繁(しげ)く記録を留めたり。
かゝる慈悲を最も知らざるは、母に外ならず。
加之(しかのみならず)、誤り・過ち・失(とが)をも自ら知ることなし。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

シリーズの趣旨などは第1回目の記事に記した。
今回2回目の記事のテーマは「母の普遍的な精神状態」であり、これは長い目で見ても、あの母親に共通する・・・即ち私の幼少から現在までの母親に一致する性格・人格などが見て取れる記述を聚めることとする。
そこで、今回は記述を大量に引用すると途方もない文字数となることが想定されるため、単一から複数が聚まって注釈でもつけるなどがほどよいと思う。
また、「母の普遍的な精神状態」に関する要文のみ引用しているため、どういう背景があるかは、日付のリンク先のページを参照し、日記メモである場合はその日付のメモを見ること。
文脈って大事だからね、やっぱり要点だけでは疑問が残る場合があるから、疑問が残る場合、それを解消すべく、大体の背景を引用元のページで確認できる。





忘却された暴力性

以下、事情があってコメントアウト

2015年9月7日月曜日

呉音では濁音となる漢字・鼻音の後でも連濁しない漢字(天など)

「神道」は"しんとう"と読む。「仏道」は"ぶつどう"と読む。
この二者の違いは「○道」が濁音であるか否か、の違いだ。

前者の「神=しん・道=とう」はどちらも清音であり、また漢音である。
漢音は清音の場合が多い。
「神社」は"しんしゃ"と読まず、"じんじゃ"と読むとおりである。
「道=とう」という読み方は一般的でないのだが、これを敢えて漢音清音統一として取り入れており、筋が通った反骨精神を感じる。
この読みが語の成立当初から今に流れているなら、成立時期も背景も何となく分かってしまう(古い仮名遣いが"しんたう"であることは措いていただきたい)。

後者の「仏=ぶつ・道=どう」はどちらも濁音であり、また呉音である。
呉音は濁音の場合が多い。
「仏」を"ふつ"と読む漢音の例もまた一般的ではないが、「仏領インドシナ」あたりが著名だ。
フランスの音写「仏蘭西」自体、「仏(ふつ)」の読みを踏襲している(中国ではフランスの音写が「法蘭西」と、「仏法」の違いがある)。
仏教用語は呉音の傾向が強く、これは時の王朝が隋の時代に伝えられたところによる(遣唐使以降は鈴=リンなど、一部唐音が増える)。
呉音というのは不規則的な傾向があると言われるが、これはより正確に言って「時の中国(のとある地域)から伝えられた音(上古音・中古音に近い)を慣れない日本人が記録したり、流入してきた音も同時期に多様であった」ことが真実だろう。

例えば「樂(楽)」という字は、同じ経文を同じ流儀*1で読んでも「伎楽(きがく)・遊楽(ゆうらく)・信楽(しんぎょう)」と、何故か三通りも存在している(自我偈には全てが具わる)。
これは日本に伝えた当時の中国大陸のどこかの地域で読み方により意味を複数に分けた例*2の最たるもので、それでもその当時は現在の「ガク=音楽、ラク=楽しい」という意味に相当するものしか確認されない。
信楽・愛楽・楽着など"ぎょう"に相当する音は、中古音とされる中に"ŋau = ngau"があり*3、もしこれを当時の日本人が聴いたのであれば"がう"と仮名遣い・・・仮名も無き時に仮名遣いとは表音漢字だろうか、ともあれ"がう・ぎやう"と聞き取ったことは想像に難くなくて、それを現代流に置き換えると"ごう・ぎょう"となる。
それが日本で特異な語句にこの音が当てられたようであるが、中国大陸で学んだ僧がそう教わってそう呼んだのか、日本で便宜上こうしたのか、詳細は未だ掴めずにいる。

1年以上前にメモ帳記事などで「漢音で"ei"の発音があるものは"you"となる」と語ったりしたが、特にこの記事に通じるものとしては「成・静=じょう」という呉音である。
前者は「成道(じょうどう)」があり、後者は「静脈(じょうみゃく)」がごく一般的な用例だ。
「成功(せいこう)」には、上記呉音の例に加え、「功(こう)」という漢音を鼻音"う"*4に連濁させて"じょうごう"という読ませ方を当方のIMEでは変換できる。
「定(てい)」にしても呉音は"tei→tyou→dyou→jou=じょう"と逆に辿れ(これには時系列的に語弊があるが説明は省く)て、こちらの"じょうごう"は変換できないが「定業(じょうごう)」や「入定」と、仏教用語には「定(じょう)」という呉音は多い。
漢音"てい"が呉音だと"ちょう"という漢字なら「丁(丁寧・一丁)」などが好例だが、「定」のように"じょう(旧仮名:ぢやう = dyau)"として濁音を伴う傾向があることをここで留意されたい。



続いて、記事タイトルにある「鼻音(ウ・ン)の後でも連濁しない漢字」について触れる。
このような漢字は漢音と呉音で読みが一致することも多い。
それは「天」や「開・海・戒・改」などである。
後者の"かい"という漢音がある場合、呉音では「会・回」のように"え (ゑ)"と読む例から、「悔」が"け"、「解」が"げ"と読むなど、漢音→呉音を辿ると枝分かれが見られる*5
もちろん時間的にはその逆で、いくつかある川の上流が下流で合流するもの、と言える。
「カイ川・エ川・ケ川・ゲ川」が下流で多くが「カイ川」に合流していく、と。

そもそも連濁というのは当記事で「成功(じょうごう)」と既に触れているよう、音読みの熟語の場合は鼻音の後が濁音になるという法則がある。
「成功(じょうごう)」を例に取ると紛らわしいが、これは「成」が呉音で「功」が漢音と、複合状態である上に、「功」が「成(じょう)」の2モーラ目"う"の鼻音に呼応して濁音となっている。
「功」が「功徳(くどく)」のように呉音"く"なら"じょうぐ"と読める。
「功徳(くどく)」は、「功(く)」が鼻音でないのに連濁しており、これまで解説するとややこしくなる。
・・・例えば、「諸有修功徳」という自我偈の一句は"しょー・うー・しゅー・くー・どく"と5拍子で読むのだが、"くーどく"となれば、"くー"が鼻音連濁を起こさないともいえないので、他の経文も同じように1モーラの音を伸ばして読むことから、そのまま鼻音のない状態でも連濁したと見る。
いいや、この「功(こう・く)」は元々ピンインでいう"gong"という2モーラ目が軟口蓋鼻音であったが、千数百年以上前の日本では2モーラ目"ng = う"が省かれては「ごう・こう」であるべきところ、「ごう・こう」でない「く」という1モーラのみの清音が普及したと考えてよい。
読経において元々1モーラ相当の音*6が2モーラに伸ばされただけだと、通常は連濁しない・・・だから知らない人にはややこしくなってしまう話となる。
「呉音"く・ぐ"+連濁」で似ているのは「弘通(ぐずう)」などがあるが、「通」という字*7は経文を伝統的に「神通力(じんずうりき)」と読む場合と、一般的に「神通力(じんつうりき)」と読む場合がある。



冗長な話をここで終えて、鼻音でも連濁しない漢字の例について書く。
まず「天」については、「寒天・昇天」から、仏教系だと「梵天・有頂天」などがある。
いずれも前の漢字の2モーラ目にある鼻音"ウ・ン"の後で連濁が発生していない。
連濁の法則が仏教系に多いとしても、「梵天・有頂天」までが"ぼんでん・うちょうでん"となっていないところ、伝来当時の中国などで実際に、濁音が生じない漢字であったのだろう。
そうでなくとも、やはり普遍的な法則に見える仏語における連濁も、例外があるようだ。
ここに理と事の思考が活かされよう。

これは「点」にしても同じく「難点・盲点」など、"ウ・ン"の後で濁音となっていない。
一方、"てん"の発音があるものでは「典」あたりが連濁し、一般では連濁せずとも、仏教系で「経典」は"きょうでん"と読む宗派も多い。
なお蛇足となるが、「法典・聖典」などは"はってん・しょうでん"と心の中で風変わりな読み方をしているが、これについては多く勉強されるとどういう言語的法則が根底にあるか知られよう。
"しょうでん"を変換すると「聖天」なるものが!「天」が連濁しておる・・・
不安なので「梵天」についても調べると"ぼんでん"と呼ぶ例が散見された。
この辺りの考古学的な調査は不可能なので、「そういうこともある」と思うこととしよう。

続いて、「開・海・戒・改」について、単語例は枚挙に遑がないためこれを省く。
簡単に説明できるものは、「信(しん)」が連濁せず、「進(しん)」が連濁するところであろう。
"しょうしん"と清音で読める単語に「正信」と「精進」があるが、前者は"しょうしん"であり、後者は"しょうじん"である差が分かる(正は正法"しょうぼう"とかというように正も精も2モーラ目が"ng"鼻音で連濁させる作用がある)。
私が「仏語」を強調するよう、仏語では多く連濁する漢字も、一般的には鼻音連濁の法則が薄いせいで清音のままというものが多い。
だからこそ、鼻音連濁の多い仏語において鼻音連濁をせず清音のものを探す必要がある。
"しん"の発音なら、「心」も「用心・信心」など、仏教系では鼻音連濁するが、"しょうしん"の変換では「傷心・小心・焦心」など清音で多く出る。
なお、冒頭にあるよう「神」という字は漢音"しん"と呉音"じん"であるから、鼻音連濁の限りでなく、「深」にしても呉音が"じん"であるために「甚深」を"じんじん"と読み、これも鼻音連濁とは異なる。




最後に、漢字の音読みと関係の無い和語の話をする。
「涙」を"なだ"、「喉」を"のんど"と読む場合を見かけないだろうか。
「涙(なだ)」は、"なみた(?)→なんた→なんだ→なだ"と、"み"が"ん"に撥音化されてこれが無音化した("なみだ"という一般的な発音は"なみた"の異流か)。
「喉(のんど)」は、一般的に"のど"というが、これ自体も涙と同様、本来"のみと(飲み門)"と、日本の医療が進んだ時代からか出来たようで、"のみと→のんと→のんど→のど"と、撥音便・無音便(造語)を踏んできている。
ここで注目してもらいたいのは"のみと→のんと→のんど"の箇所である。
"のん"の後の"と"が発音しやすく連濁して"のんど"となった。

和語には、こういった経緯を踏まえる動詞がとても多くあり、源流を辿ると似たような例が散見される。
これは「涙・喉」のような名詞に限らず、多くの動詞にもあるが、これについては勉強してその様相を探ってもらいたい。
案外、重なった言語感覚から手に取るように得られる。

もったいぶってみたが、一個だけとりあえず動詞の例を示す。
「重んじる」とは「重む」という動詞の連用形「重み」に「する」というサ変動詞をつけて「重みする→おもんする→おもんずる→おもんじる」となった。
この法則に気付くと、頭で勝手に「辛んじる」などとポンポン動詞を生んでいる(類推・逆成)。
※「辛うじて」の混同だろうか、「辛(かろ)うじて」とは「辛(から)くする→(ウ音便・字音変化)辛(かろ)うする→(う濁音)辛うずる→(連用形+て)辛うじて」として出来たのだろう。

サ変動詞が「鼻音連濁+じる」と変化するのは「感じる・講じる」など、動詞音読みのものに多くある。
「存(ぞん)じる」「存(そん)する」は、同じ漢字であるが、漢字の読みに清音・濁音の差があれば、サ変動詞も"じる"変化が生じていない。
生じない、変じない。
サ変動詞で連濁し、"じる"変化が起こっているもので、鼻音ではないものは「命じる」等あり、これも"メーじる"という長音だから"じる"変化があると思えばいい・
もちろん、「存(そん)する」のように「呈する」が一般的な"エー"系サ変動詞もあるし、そもそも文語体・古いものは「汝に命ず・肝に銘ぜよ」等書いてしまえば、"じる"変化はごく現代的・慣用的で、必ずしも絶対的な文法では無いことが分かる。
「○○する」というのは、正統終止形で「○○す」となり、古書を紐解くと「○○する」は本来連体形の用例のみであることは判然としていて・・・
これについては過去記事で縷々と語っているので参照されたい。



脚注

*1・・・例えば、異なる宗派と地域では、同じ経文でも連声・・・「成仏已来」と唱えるとき「じょう・ぶっ・ちー・らい」と読む場合と、連声せず「じょう・ぶつ・いー・らい」と読む場合とがある。元々連声するのが正統であるとか、あるいは正統気取りで連声をしはじめたとかは、考古学者ではないから知る術がない。二分・多分に分かれた読みは、宗派や地域などによっていずれかが慣用的な読みに変えたり、後世へ正統派の読みが忘却・不相伝などは確実に考えられる。

*2・・・例えば、顕著なものとして「易」という字が挙げられる。「貿易」等に見る"えき"は、交換や変化などを意味する。「平易」等に見る"い"は、難易のやさしさを意味する。これは、中古音に"yek"と"ye"という違いに現れ、それ以前の上古音では意味の違いによる発音の著しい差が生じていない。他は、「惡(悪)」も、状態や行為などの悪さ(悪化・悪行・悪魔)を"あく"といい、憎悪・嫌悪(悪寒は?)などを"お"と言うが、中古音では同じく"ʔak"と"ʔu"という違いがある。"ʔ"という環境依存文字は「声門破裂音」の記号で、有るようで無いような子音だと思えばよい。

*3・・・環境依存文字"ŋ"は、普通のアルファベットでは"ng"と書き、「軟口蓋鼻音」という。ここで過去の釈明をしよう。「日本以外の漢字文化圏や東南アジア・インドネシアの地名などをGoogle地図で見れば"ng"の綴りが甚だ多い」という現象について、2011年から最近まではこの"ng"の綴りを「nの後に発音しないg」と思い込み、原因を「東南アジアなどにとって中国がローマナイゼーションの師匠だから」等と考えていた。それは私の誤解である。誤解が晴れたきっかけは、このように"ng"が語尾ではなく、母音を伴っているピンインを見たところにあり、自分が思うnとはまた異なる鼻音"ng = ŋ"があると知り、その音を以て具体的な違いを知った。だからこそこのことを論った記事では、確然としていない知識からの見解に「信憑性の薄い話」と自ら不信を唱えていた。

*4・・・日本の漢字音読みにおける"う"の音は、歴史的仮名遣いや字音仮名遣いというものでも"ウ"とされる場合、中古音・上古音では"ng"の音がある場合が多い。この"ng"とは脚注2にあるとおり「軟口蓋鼻音"ŋ"」である。日本語の"ウ"は本来「狭母音」の一種であって、鼻音ではないのだが、連濁の法則上は伝来当初の"ng"音が守られているのかもしれない。ほか、"う"の読みのある漢字でも、例えば小や好などは"ng"音による"ウ"でない。合や法の場合はいわゆる入声音の"p"が字音仮名の"フ"、現代では"ウ"となっており、当然軟口蓋鼻音ではないから、連濁は通常せず(した場合は類推か)「合掌」を"ごうじょう"とは読まず"がっしょう"と読む。

*5・・・「会・回」と「悔」と「解」というのは、それぞれ古い仮名遣いでは異なりがある。現在では全てが漢音において一様に"カイ"であるが、古くは「会・回」は"クワイ"、「悔」も"クワイ"、「解」は"カイ"であった。厳密にこういった違いが中古音など、時の中国では分別があったものの、日本語の口頭では境界が曖昧で、現代までに誰も意識しなくなった。こちらで確認できる中古音を現代カナに置き換えると「会 = kwajH =クヮイ」、「回 = hwoj = フォイ」、「悔 = xwojX = クォイ"」が近いだろうか。中古音などの表音で、大文字のXやHが末尾に付くことでの相違点は不明。拗音ォは、便宜上こうしたが、自分の口頭では小さいヲが近い。なお、普通は母音"a e i o u"が付かない"j"は珍しいだろうが、これの本質はドイツ語・ラテン語学習者ならご存知の通り、"i"の音に相当する(更に言えば英語の"y"に相当する)。"i"と"j"の字の形状にもその点が表れていよう。本来は"iapan = japan"のように、"j"は"i"の亜流であった。よってここでは"イ"とした。

*6・・・日本で読経する際、漢字1文字2モーラとなってテンポの良いリズムを作る。だが、稀に音写された固有名詞などでは1文字1モーラで連続することがある。「釈迦牟尼仏」を"しゃー・かー・むー・にー・ぶつ"と読まず"しゃか・むに・ぶつ"と続けざまに読む。「舎利弗」も"しゃー・りー・ほつ"ではなく"しゃり・ほつ"と読むが、中国では"しゃー・りー・ふぉー"と1文字2モーラ式だ。

*7・・・"つう"という読み方は、一般的には「通・痛」の2字がある。日本Wiktionaryは「」の"つう"を慣用音として、「」の"つう"を呉音として載せているが、根拠が薄い。堅物の日本ウィクショナリストは「どこどこの辞書にそう載っているからいじるな」と言って譲らないものだが、中古音を元に考えると、「通・痛」の2字とも"thuwng"であり、特に脚注3等でも示されるよう、"ng"は伝来当時の日本で多く"ウ"と扱われ、「通」だけ慣用音だとか、そんなことはあり得ない。経文読めば、慣用音でのみあるということは全くないし、仮にどこぞの辞書がそう載せているならば、その辞書の編纂者という一個人の見解であろう。辞書へ絶対的に依存する堅物である。真実を見ない。辞書の説が真実と思うならば何らかの合理的根拠が要る。なお、ほとんど慣用音とされる読みで有名なものは"すう (数・崇・枢・趨など)"であり、これについては一理あって、経文でも「数(數)」は「無数(むー・しゅー)」等、"しゅ"と読み、一般では何故か濁音の「数珠(じゅず)」が好例。「数(數)」については数数見擯出(さくさくけんひんずい)という変わった読みがあるが、これも上古・中古音や現代でも各種方言に似た発音が多々あって(上: srok 中: sræwk 閩南・広東: sok)、「数字」などとは異なる意味を表す際の音である。



以下、脚注6・7を追記する前に「脚注5で記事が終わる」と想定して書かれた末文だから、脚注6・7を意に介さず読んでね。
せっかく綺麗に記事を締めくくれそうなのに日本ウィクソが調和を乱して、文脈破壊追記をさせる。

↓ ↓ (脚注5・母音に似た"j, i, y"字の音の類似性と歴史的関係性を受けて)

こういった文字を、(勉強の中でたまたま)歴史や多言語の上から研究していると、発音の本質を容易に覚ることができる。
よく取り沙汰される"L"と"R"の違いも、過去記事にあるよう古いラテン語や現在でもフランス語に"lla=ヤ"、"lle=ユ"という発音を見ることができ、トルティーヤやミルフィーユといった名が分かりやすい。
英語の"All"のみならず、"al"の綴りが単語の頭でも中でも尾でも、"オゥ"や"ォオ"のような発音をするのは、9月7日調べると「ダークL」というそうだ。
ミゥク、アーポゥ、ヴェイォオって何だ。エニモゥ(発音動画)
私一人の覚ったことではもったいないので、こうして文章に表し、自分で覚れない人の為にこの文理(もんり、文のことわり)を説く。

なお、当記事は9月6日22時頃、俄かに記事の案として発想し執筆を始めて、ダラダラやったつもりが9月7日14時頃に5,000文字を超した。
今回のテーマ「連濁」について、私としては記事で例を挙げきれないほど知り尽くしたつもりだが、一応「覚れない人」びとの為を思い、勉強に役立てようと、こうして記事にまとめて投稿する。
学術的メモ帳であるから、自分の知識などを形に留める目的でもある。
そういうつもりで今まで作成した記事は、当時まだ知識不足・誤認識があったり、調査不足の面もあったことは、後々気付くこととなる。
だからこそ、「知り尽くしたつもり」の更新をするため、その都度、記事に作って成長過程を判明させねばならない。



2015年8月29日土曜日

閑居求道者が隠棲覚者となる日まで

私が、閑居して人身究竟の道を求める意(こころ)とは何か。
十余年の苦楽を経て識った答えがある。
己の名も分からぬ歳で頭頂がハゲてしまった件を濫觴とし、その後の境遇は明らかに苦難の連続、刹那的な快楽ばかりで、次第に誰もが己に平伏する完璧な富貴の人にならんとする野心をも生んだが、それは泡沫・陽炎に過ぎなかった。
世俗・社会の道を外れた先の住まいでも、「衣服不足(えぶくふそく)・飲食麁粗(おんじきそそ)」と、ありふれた安逸にありつけることも無い自分は「求財不利(ぐざいふり)」の人生を進んできて、余生もまた然るべきものと、答えを識るに至った。

二十歳に満たない者が、自ずとこの世間の実相の一端を識るに至ったことは、偏に仏説に値えたが為であって、稀有にして僥倖であり、それは多くの濁世の大衆は終生識り難くもある。
この上は、孤陋のようでも研鑽の日々を送って、最上の真実を識らねばならない。
私の文章の全てがたとえ「有所言説人不信受(うしょごんせつにんぷしんじゅ)」とされても、詳らかに顕示する。
「止暇断眠」の研鑽による「蛍雪の功」は未だ遠い・・・。



私はよく「子供のまま・15歳から人生が止まっている」ことを実感する。
意義は多々存するのだが、例えば全ては豊橋の母宅に小旅行もとい家出したところに収まる。
2011年4月18日その日より、豊橋の外に一歩も出なくなってしまった。
前の家では、2010年8月から髪を短く切ることはなくなってしまったりと、計り知れない。
小6から着ている部屋着を中3の時に来た写真と現在を見比べても、身長の伸びを感じないし、具体的な身長は中2はじめの発育測定から一度も測っていない。

「子供のまま」といって、ただ知能や精神が発達せず大人になった状態に当てるのとは、方向が大きく異なる。
子供は子供なりに、子供としての期間で大きな成長を遂げる。
中3までの私でも、十分人並みを外れた否、凡庸な大人共にさえ勝ると自負していた。
そういった見地においては、今も優れた子供という点に変わりが無い。
そしてその子供が、子供らしく「おべんきょう」を続ける。



連日文章を書き続けることに自ら疑念を懐いて、やや億劫になることもある。
否、文章を書き続けることが私の本分だと自覚せねばならない。
利益も無いのに身を粉にするが如く勤しむ必要は無い、余事に捧げたい時間が惜しい、PCのキーボードが壊れそうだ、PCの寿命が縮みそうだ、など弱腰になってしまうが、その疑念を断じて尽かすべきである。
こうして修練を重ねることで、現世における無上の智慧・識を得られるようになる。

PCに度々問題が起きようとも、小5期とは異なって2011年6月末から今日まで、正常とも言いがたい正常の状態で動作している。
だから、可能な内はネットに多く自分の言葉を綴った文章を残す修練を続けねばならない。
その目的は、多くの人の目に入れることよりも、まず自分の思考や生活の記録のためであり、後日にはそれを見返して確認することで再度役に立つ。



8月はほぼ毎日1,000~3000文字の日記メモを書き、本家のブログ記事もそれなりに投稿した。
例えば本家の記事投稿回数だけならば、2013年9月下旬~12月下旬まで、3日に1回以上投稿していたことと比べれば、今は1~2週間以内という何とも疎らなペースで粗末に見えてしまうが、1記事あたりの文字数が尋常ではない。
学術的メモ帳も月に19回投稿した2014年10・11月と比べれば、当記事を含めてたった3分の1以下の6回しか投稿できていないし、月初の日記メモまとめ記事を除けば約4分の1とも言えるが、これも文字数という質の差が大きい。
いわば、現在で言う日記メモクラスの内容を記事にしていたような例が、学術的メモ帳も本家記事も多かった。
本家では毎記事トップに画像を付けるしきたりが開設より間もなく始まっていて(初期は例外もある)、3日に1回以上投稿していた時期も一貫しているのだが、このあたりは今でも見習いたいとは思う。
日記メモ投稿日数の多さも、例えば「昨日は22時寝た。今日は朝7時起きた。」を1ヶ月通して書けばそれで最大31日を埋め尽くせるが、それでは有って無きようで空虚なものだから、この点でも今月の投稿日数に文字数の多さを考慮すれば濃密な実体が分かる。

今月の話に戻すと、音楽館の記事でも一つ調査のレポートを長々と書いて、音楽関連の活動もこの一年で最も多く作曲・某サイト投稿を成し遂げた。
その「音楽館の記事」の投稿予定リンク→http://deathmetal.blog.jp/arc/Aug-21-2015.html
今年の8月は勉強にしても創作にしても、並行して大いなる功績を挙げたのであった。



一方で食事量はますます落ちていき、気付けばお湯などを片手に作業を続けている。
こういうわけだから、今月ついに最低体重が45キロを割るに至った(後述)。
8月の日記メモで幾度と話題にしている「買出しのペース半減」に一因があると言えるが、何と言ってもそれで一度も母親に不満を漏らさない私の精神力である。
この食糧難こそ即ち修行の絶好機であるとして、水ばかり摂るような生活を続けられる。
この話題で母親に何か訊いたかといえば、せいぜい「今後の買出し方針を決めてもらわないと、品書きメールが書きづらい」ということくらいである。

ぬるいといえば未だぬるい苦行かもしれないが、こうした自戒の精神は長い時間漸次強まっており、それが数値として表れもする。
もともと私の身長が、正確に測れていないため不明だが推定約170cmとして、体重はピーク時(1年半以上前)の55キロから、今では10キロも下る44~46キロ台に落ち込んでいる。
自分の外見にも幾許か痩せた違いが見受けられるが、それでも10キロの差は考えづらい。
ともあれ、同じ体重計(体組成計)がこう表示した数値を素直に受け止めると、清く慎ましきこの生活の精神が、数値の推移にも比例して反映されることが分かる。

関連記事
「引きこもり」について一元的な見方しかできない世間・・・質素な閑居について
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/08/blog-post_17.html



「不知世間・能識世間」

我を過ぎて世情を知れる者は、あたかも海中の沙の如くに多し。
我を措きて世間を識れる者は、さながら爪上の土ばかりに少なし。
世の人の云ふところの世間を知らねども、世間の濁りたる様は識れり。
妙法蓮華経譬諭品にのたまはく「三界は安きこと無し、猶ほ火宅の如し」と。
増一阿含経善聚品の偈にのたまはく「愚者の常に喜悦すること、また光音天の如し。智者の常に憂ひを懷くこと、獄中に囚はれたるに似たるが如し」と。
我常に暗室に居りてもいづくにても、安からずと覺えたり。
人界に身を受くるを徒らに悦ぶ勿れ、況や財物名聞を得ることにおいてをや。
設ひ天上界なれども、三界に生まるゝは都て偏に過去世の善業足らざるの故なるべし、其の中で得る名利は夢の中の榮華なり。
唯佛の敎(教)へに値へることこそ今生での悦びなれ。
されば、賤しき身も佛道を歩ましめ給ひ、人界唯一にして眞の悦びを得ること、その德(徳)は名利富貴の人に百千萬億倍勝れたらんと思ひて已むことなし。



※阿含経の偈について訓読文のワードを断片的に完全一致検索(歓楽・愉悦など表記揺れを回避する策)すると、日本では変な解説ページや、浄土真宗の人だか禅ファンか唯識勢か不明だが浄土真宗の教義に折衷し、ましてやとある教えでは「智者・愚者」の位置をどういうわけか逆に換えて換骨奪胎していた(文脈が不明なので評価も出来ない)。何かの状態を指すにも、この偈の文言の主語のみ入れ換えたものを書く必要があったのだろうか、誤解が起きよう。例えば自分で「智者常安楽・猶如雀歓躍」とでも表現を大きく変えて創作したらよいのに。
それと、「三界家宅」と「智者・愚者」の偈をどちらも引用した日本のページは、「宝物集」という書の全文を載せたdocファイル(読書よりも異本の研究ページっぽい)のみがヒットして、それ以外は中国のサイトにすら無い。引用元を「正法念経」とするところは、往生要集と一緒であり、念仏交じりの平安天台宗らしいとは思う。



2015年8月24日月曜日

横野要文類聚(1) ~ 「擬古文」篇

*横野要文類聚「擬古文」篇・前節*
夫(そ)れ古語(いにしへのことば)を修(しゅ)するは、德(とく)高ゝる教へに触れんが爲(ため)なり。
抑(そ)も、德高ゝる教へとは、我が身在(いま)す現在に罷り通る語(ことば)で解するに及ばず。
故(ゆへ)に、自ら學(まな)ぶことに於いて第一の術(すべ)ならん。
遠洋異朝に、その土(すな)の古語あり、また然るところなり。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

とあるテーマを基に、Google+日記メモ、当メモ帳ないし本家ブログ等の記事、YouTube動画説明文などに渡る膨大な情報の中から、有用な記述を聚めて一記事にまとめることが趣旨である。
必要に応じて、記事投稿以後にも記述の追加を行う場合がある。
また、Bloggerの「ページ」枠を利用してもよいような気がするが、これは現在保留の案。

今回の類聚テーマは「擬古文」、これは部分的にそういう文法を用いたような表現("ましてや私の知能を「我より劣れり」と見誤る顛倒者の繁きことよ"等)であれば、いくらでもあるかもしれない。
やはり膨大な記事の中から選ぶことは玉石混交であろうが、意図して書かれたものを探す。
また、漢文なども聚めたいが、どうも別に典拠があって引用した文章の割合が高い。
そういうものは、2015年6月の記事のような場合を省く必要があるため、この他も状況に応じて載せるか載せないかを決める。
探しづらいが、和歌についても聚めた方が良いのだろうか。ほとんど散文だし。

今後も投稿する全類聚記事に凡そ一貫するであろうが、新しいものから順に掲載する。
擬古文については、旧仮名であるとか旧字体であるとか、気まぐれで異なっている。



『不知世間・能識世間』・・・我より世情を知れる者の轉多きこと、あたかも海中の沙の如し。我を措きて世間を識れる者の甚だ少なきこと、さながら爪上の土ばかり有り。世の人の云ふところの世間は知らねども、世間の濁りたる様は識れり。妙法蓮華経譬諭品にのたまはく「三界は安きこと無し、猶ほ火宅の如し」と。増一阿含経善聚品の偈にのたまはく「愚者の常に喜悦すること、また光音天の如し。智者の常に憂ひを懷くこと、獄中に囚はれたるに似たるが如し」と。我常に暗室に居りてもいづくにても、安からずと覺えたり。人界に身を受くるを徒らに悦ぶ勿れ、況や財物名聞を得ることにおいてをや。設ひ天上界なれども、三界に生まるゝは都て偏に過去世の善業足らざるの故なるべし、其の中で得る名利は夢の中の榮華なり。唯佛の敎(教)へに値へることこそ今生での悦びなれ。されば、賤しき身も佛道を歩ましめ給ひ、人界唯一眞の悦びを得ること、その德(徳)は名利富貴の人に百千萬億倍勝れたらんと思ひて已むことなし。…2015/08/29

抑も「求財不利(ぐざいふり)」と云ひしもの、余は歳を二つと数ふる頃に、頭頂俄然としてハゲにしことを濫觴(さきがけ)とす。その後は推して知るべし、世俗の名利を求むるに一文として利無きなり…2015/08/27
※リンク先では200文字制限から「文字数ガー」として終えているが、あと数十文字書きたかった。その翌日になりYT運営が500文字に上限を解放とは実に数百文字も増えた。なぜこのタイミング?

星の一巡ありし方に、TはK・Y・Eの三部を作されたり。我が好くところも偶(たまたま)この順を歴たり。即ちKは出発地、Yは中間地、Eは是れ終着点なり。Eの最勝ならんこと定めし自り来(このかた)、猶お転ばで今日に至れり。Eより二巡已後のF等に入らんずること、水より火が出でんとも無かるべし…2015/08/14

武士道と申すはもののふの道なり。もののふと申すは食べるものを選ばず。これ天地神仏の恩を知る故なり。然るところ汝(なれ)は去(ゐぬ)る八月六日に水を捨てにき。剰(あまッさ)へ嘲笑しぬるはこの道を外れたり。汝(な)が實(げ)にも申しつるやう、今修羅の道と餓鬼の道を迷走せりと見ゆ。恐々。…2015/08/13

「畏みて問い申す。主の御稜威は普からずや、如何。然ればただ我らに無上の楽才を授け給え、恐恐。デウス・メタラム、ドミナス・トレメンデ。」…2015/08/11

拙劣なる誹毀讒謗、一々に論うも口惜しき次第なり…2015/08/08


勿体無くもメタルの良縁と妙技を得てより懈怠懶惰のみならず誹毀讒謗せば、大罰免れ難し…2015/07/23

赤いキャップを外して白い蓋の上面を眺むるに、美國辣椒醤(タバスコ)にも似たり。(繁体字:醬)…2015/07/20


「確と読まざるを読みたりと謂ふ」…2015/06/24

洛中の人が島猿を嗤いき…2015/06/21

「不爲實於無根草(根のなき草に実りなし)」我また是の如し。…2015/06/10

(前略)其の土を栄えんと欲し、やうやく粕にて壁をこしらへたり。故に粕壁と名づくるなり(後略)…2015/06/10

種々の事実を連ねて強く呵責せど、例えそれを辞して甘き懐柔せども、頑迷固陋の母が矯正さるは全くなし、いかで改悔せしむべきか…2015/05/30の注釈内

御本仏の在世にも邪法充満せり。何に況や現代に仏の名を終生知らざる事をや。諸の衆生、摧尊入卑にして遍く濁世に満つ。正法を持つと雖も懈怠の人、猶多し…2015/05/26

御書に曰く「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」…2015/05/15

御書に曰く「師子を吠る犬は腸(はらわた)腐る」…上の注釈内

是あに信行に非ずや。まさに「義の戒壇」とは云ふなり(中略)メモ畢んぬ、平成二十七年五月三日十六時十三分(中略)メモ畢んぬ、平成二十七年五月七日十三時四三分…2015/05/13

早期熟脱にして先見の明あり」「當(まさ)に此(こ)の男子(なんし)、眉目秀麗(みもくしうらい)にして精悍(しやうかん)なる相貌(さうめう)を有(いう)す」「博覧強記にして聡明の聞こえあり」…2015/05/11



衆に持たるゝ外典爲りと雖も、現代の卑俗に過ぎたる瑣末な本を讀む可からざる事…2015/04/30

諍い高じて剰え、孔を穿ちぬ・いと辛し。…2015/04/27

自覚せば「須らく其の慢心を抑うるべし」…2015/04/20

愚蒙の輩、これを見るに本気で私を「馬鹿」だと思いき。驕慢の輩、遍く天下に満ち、邪鬼の跋扈せるやうなり。ネットの事は即学校生活ぞかし、いづくに留まらんとも業が末に究まりぬるなり。…2015/04/04

散歩の砌に至る時、努々歩めや弛まじと…2015/04/01


「かゝる聖文、当に値ひ奉ること難し、例せば三千年に・・・」…2015/03/27

めおとの乖きたるは、家の柱の倒さるるに等しかりなん、豈愁えざらんや豈苦しまざらんや…2015/03/21

我、固き褥に臥して思いぬる時…2015/03/12(1月11日深夜に詠んだ歌が元ネタ)


「来る日も、ひねもす食ひて寝るのみに過ごしたるは、あたかも畜生のやうなり。」然るに我、健やけく学べり。是を声聞(しやうもん)とは云ふなり…2015/2/26

「集魂詠唱:古今普く揺蕩う霊魂、呼びて集いて群れと為す!"Veni Spiritus!!"」…2015/02/22

地表に普く積もりて満つ大地、生命。なかんずく(中略)されば、譬ひ大禍が起くなりと、その苦を逃れんと命を捨つ選択だけはせじ…2015/02/21

誰人の謗りも嗤いも意に介さず没頭する意志こそ薄弱なれども、次第にか強まらん。侍りて教う師に欠きたるは一抹の憂き哉…2015/02/21

八百年(やおとせ)の時を経て、今に至れり。「五濁悪世」…2015/02/11

「況やそれら存在の恩恵に肖れる者をや、それらを軽んずべからざれ」(中略)往々にして翳眼を以て謬見と為す。謗りもさることながら、愚人に褒められたるは第一の辱なり…2015/02/05


鎮魂詠唱「願わくは夭折した殉教の聖女に安息のあらんことを」-Requiem Aeternam- …2014/12/31(今様讃歌「汝鋼道本懐たれ」も参照)

召喚詠唱「五濁悪世より離れ、寂光の園を築き給うた主の御稜威ぞ、此處に普く輝きぬ!」"Veni Creator Spiritus!!" …2014/11/30

「是、我に能はざる也」…2014/11/18


是即ち、一度目の慈愛一発にとどむる能わず、以降は瞋恚の襲撃なり…2014/10/16



7月の日記メモまとめ記事を見てこう思った→「熟(つらつ)ら惟(おもんみ)るに、一月過ぐるはいと早かるべき事を辨(わきま)ふ。已に渥美の風は肌に寒くなりにき。」
通解: 2015年8月25日、朝から台風の影響で酷い寒さであった。

あ~結局、和歌をほとんど載せていないから、ここで一つ→「四方の島々より無辜なる民の呻吟がすめらぎのとよと耳に届き参らせ、その騒がしきを嘆かせ給う。『四方は安からず!』慈悲深き天皇陛下は恒久平和をご祈念せらるるが故に、もろびと彼を輕毀すべからず。謗るのよし何処にかあらん。 "ひのもとの 民にありなば すめらぎを 敬ひてこそ あらまほしけれ"(ひのもとに 生く人ならば・・・と、どっちが良い?)」



☆2015年12月からの方針☆

当記事は以下より随時追記スペースとする。
追記スペースへの追記要件は、2015年9月以降の「擬古文」要文となる。
要文をたまたま見た時に追加する程度のペースであるから、回聚率は低くなろう。
ここまで日付の降順であったが、以下からは昇順として載せる。

正見智目を開かしめ、同じく道心ある者を導かんと遍照す…2015/10/21

「須らく善友(ぜんぬ)を求むべし、(孤独の戦いが)人目にはわろきやうなれども、道心を安定(あんぢやう)せしめんがためなれば、なほ親近(しんごん)すべきにあらず」 「余・孤陋の身にて候へども、末代に正師(しやうし)の稀なるを思ひ候へば、苦しけれども苦しきは候はず」…2015/12/12 (所載の2016年2月2日記事にそう記録されるほか12月13日に用語の検索履歴がある)

智者は其の空閑を修養に過ごす。愚者は其の安寧を遊戯に費やす。只だ徳を喪う、愚かなるかな…2015/12/15

私は孝子として、父母の魯鈍なるを速やかに度さんがために思惟し、記録し、諫言を繰る。非人貧道の身で、民衆と国家と世界に最高の忠言をなさんがために、種々の情報を布衍す。悪業深きの故に、寿命久しからずと雖も、久しからぬ故に、一生を捨つる勇猛心あらんか。願わくは速やかに本懐を成就せんことを…2015/12/20 (敢えて部分的に現代語を用いる)

平成27年12月22日、御勘気を蒙りて明日に家を追わる。岩の音に向かいて、そこにてか死なん。隠るる地を得てついのすみかも定まらん。「筵を撫でて 色抜くるまで」と歌いしは虚妄なりや如何…2015/12/22


長髪居士、断髪せられて曰く 髪切られなば已に死せり、何の恨みかある、一毛だに惜しまず、菩提の心を発して唯だ世を遁れんと願うばかりなり…2016/04/11

「つらつらインターネットを眺むるに、議場、数あり。一に羝羊雑談(たいようぞうだん)の席(むしろ)、二に修羅諍論(しゅらじょうろん)の席、三に禽獣罵詈(きんじゅうめり)の席、これなり。彼らの中に於いて長短をば分けず。いづくなりとも恐るべし、離れんと思すべし」…2016/05/17

2015年8月17日月曜日

「引きこもり」について一元的な見方しかできない世間・・・質素な閑居について

8月8日深夜、1Fリビングのソファの上に転がっている、カバーの外れた本を手にとってみた。
それは統合失調症の治療だとかを銘打った解説書であったが、これは私の母親自身の精神病の克服のために読んでいるものかと思ったが、どうも患者家族のサポート、といった趣旨だ。
私の母親という読者を差し置いて、他にその精神病の患者がいたであろうか、と自嘲する。
2015年中に第1版が発刊されたらしく、新刊の方であり、1冊の価格が千数百円台。

この本を一瞥する程度に読んでみたわけだが、いわゆる陽性患者の幻覚や発作といった症状、陰性患者の乏しい感情表現や引きこもり状態などを挙げている。
このように見ると私は陰性か陽性かといえば、中学2年生の頃は分厚い医学書を読み解いて「俺は精神分裂病(統合失調症)の陰性だな!」と自負していたわけだが、今となってはどちらとも言い切れないわけだし、このような陰・陽の分類を明白にするための列挙は無用だと思っている。
自分で少し考えても、統合失調症に該当しないものと思っている。

統失のみならず典型的なうつ病の症状も私にはほとんど無いようであり、寧ろ中3の頃は、もっと精神病や鬱が進行した方がいっそ潔いとまで思えていた。
故に中1の三学期あたりで、前の家において甘えづらい父親に精神科を探してもらうように頼む決心をした経緯もあり、これらは当時なりに勉強していたからその行動があった(今の私からすれば精神科の通院はほぼ推奨できないし、殊に当時の私であれば通院・投薬は不要)。
母親は息子のことや病理を知っているような顔をしていて無知だから、今の私を何かの精神病だと思っているかもしれないが、こういった本などはほぼ当たらないものと断ず。

母親が所持する本については、何かの分野の入門書っぽいもの、昔買った英語の参考書っぽいものなど無味乾燥・陳腐なものばかりで、後は母が薬剤師の関係のため医療書がほとんどだが、小説(文学)、自伝、ドキュメンタリー、エッセイなど書き手の人間性が出やすいものは一切無い。
その割に本業熱心というわけでもなく、テレビ番組を見続けてゲラゲラ笑うとは低俗の極みである。
小説(文学)、自伝、ドキュメンタリー、エッセイであっても、近年は押し並べて卑俗なもので、こういうわけだから、自著(予定)の諸事相対抄の原案に「衆に持たるゝ外典爲りと雖も、現代の卑俗に過ぎたる瑣末な本を讀む可からざる事。」という一節がある。



引きこもりについて、世間ではどうも一元的な見方しか無いように思う。
引きこもりという状態が異常なのではなく、その状態にある人々の心理状態を個別に見て異常と見られる場合もある(その傾向が強い)だけのことで、社会通念上で人との交流が疎遠な引きこもり生活は現代的に問題かもしれないが、結局は現代社会や民主主義に向いた既成概念の見地でしかない。
その見地に立てば、交友や労働が健全であるとされる。

私は確かに前の家で父親と家庭内別居を経て人生最後の不登校となって、その頃は家で物を漁るのも飽きていたから、庭弄り(焚き火アリ)とかお気に入りの自転車でよく一人きりの外出をしていたが・・・このあたりのことは過去記事に詳述されているので割愛しておく。
その後2011年4月18日の家出から、家出先の豊橋母宅でも疎外感から家庭内別居をはじめ、ここでも2011年ころはよくコンビニ通い・・・詳述済みの金銭の話が入りそうなので割愛する。
今では自他共に認める引きこもりとなってはおり、過去には一般的な見解の原因(鬱など)に似たような経過もあっただろうが、現在の状態としては、社会への未練が断てない多くの若年層引きこもりと違い、諦観の思想を持つ私は決然として理性的な引きこもりを続ける要因となっている。

ここで「一元的な見方」が一般世間に多いと看做した根拠を述べるが、上述のように私は「理性的」であって、多くの若年層は「感情的」なところから引きこもり状態が長引いている。
世間は「引きこもり」状態がおよそ精神病に起因しているものと思っているだろうが、それは一元的な見方であり、そこから導かれた「治療」の方法というものは私のような理性的引きこもりに、まるで的外れとなる。
例えば、食べ過ぎたという人に対し、欲張りな性格が原因だとしか思わないことと同じである。
単なる結果に対する原因を推量する上で、浅薄な思考によって短絡的に決めてはならない。

引きこもりという状態の原因が精神病=感情的なものであるという「一緒くた一括り=一元的」な見方に終始した解説書で、私のような特異なケースの引きこもりを直せるなどど私の母は思っているならば、非常に了見が狭く、学んでいるはずの「心理学」に暗いことではないか。
自分の息子のことを凡庸な一般人と同一視する母親の蒙は、啓いても啓ききれないだろう。
過去に私が色々と苦慮して、今なお変わっていないのだから。

また、母親が息子のことをまるで理解していないことは当記事でも既述のことだが、同時に子供への放任的な部分も言うことができ、そのお陰なのか私は自主性・自立性が養われたのだろう。
父親もまた同じように、子供の心や精神状態など無関心で人生相談などできそうになかったり、話しても反応が鈍かったりアテの外れた返答しかしなかった。
こういった両親の姿勢が、精神面において大いに私を自立させてくれた。
私の両親とは逆に何か恐ろしい呪縛の信念を持った親御さんの元で育った子供は、全て仕込まれ受動的な成長を続け、無知と蒙昧のまま育ち、確かな意志や自己さえ持てなくても学歴・社会的には普通の立場であるからそのまままた不幸な子供を増やしてしまうが、これは戦後以降に始まった事態で、呪縛偏狭偏執世代の魯鈍な子のまた子がどう育つのかは未だ究明しがたい。
また、呪縛二偏世代の魯鈍な子が目覚めて、社会的な見識を持つ場合もある(呪縛二偏世代の子は、生い立ちも目覚めてからも全て私と逆の思想であるけれど)。

一方でどんな時も大した干渉をしなかった両親は、本当に甲斐性なしで親としての器量に欠いた人間だが、幸か不幸か真理を求める道を進まんとする私の根本を育んだのだ。
幼少期の「一人暮らししたい」という口癖は、単に両親の夫婦喧嘩を厭うところから発したものだし、今は微塵もそんな夢想を持ってはいないが、根底では今でも幾分通じている。
経済面・社会面という点で子供のままの私は、同じくその点での自立は望まない。
養ってもらえる間そうであり続けるし、それ以上の贅沢も求めない。
戸籍上唯一の親である父の家から離れる=出家のような気持ちで豊橋の家に住んでいるから、住まわす在家の人も僧侶を供養する気持ちでいてもらいたい。
豊橋に来たその日から、今後も豊橋の街の外へ出ず、隠棲修行を続けられるだけ継続したい。
他所で遊ぶ必要なんか何も無いんだ、仏教に憧れても大寺院の物見遊山までする必要なんか無いんだ(信仰上の重大意義から一度はお参りしたくも)、徹底した隠棲修行の大前提はこの覚悟。



ここで、「理性的な引きこもり(理念に基づく引きこもり)」が何たるかを、日本史の上からも解き明かそう。
「引きこもり」の概念自体が他国には希薄であるから、ローマ字表記の"Hikikomori"の語としてWikipedia英語版記事があることは、少しネットで調べた人ならご存知のことと思う。
ある時は浮世の無常を知って少欲知足・閑居・蟄居を始めた者もおり、ある時は世間の迫害か圧力か、出るに出られない状況から都や市などから離れた山里や寺などに篭る者もいる。
前者の隠棲・隠遁者は透徹卓見にして、とても見識に富んでいる者であって、理性的引きこもり=閑居求道者の私が鑑とすべき隠棲覚者である。

彼らの多くは、人から清らかな食物の提供による生活を送っていたわけだが、そうして尊敬を集める人もいたわけで、私は他人に対して「俺を尊敬しろ!」とは言わないし、「俺も尊敬されたいなー」と思わない。
彼ら尊敬されたであろう人々を、また現代の私も、その「在り方(清貧としての姿)」を尊敬し、彼らによる尊敬すべき在り方を自己に反映してゆこうと望むのみである。
現代では世俗的なしがらみ、もとい、人道の観点で生活困窮者も「生きる権利・基本的人権」が否定されないから不運でもない限り食物を得られるし、なお困難ならば現世の未練を断って死を受け入れる覚悟で生きればよい。

「自殺」に文化的な捉え方があるが、日本人の諦観は本来これくらい安らかで慎ましい程度であって、それが武士の戦乱で過激化して戦国時代までに「自殺」を選ぶ危険思想が増長し、江戸時代では本来の諦観だとかが忘却された、武士のケジメであるとかへ方向性が著しくズレてしまった。
現代でも、若い頃に普通の社会生活を送っていた老人などが、仏教などへの憧れで閑居=ひっそり過ごす(程度により即身仏もあり)場合もいくらかあるかもしれない(必ずしも私みたいに他人との交流がないわけではないかもしれないし、逆に交流の無い高齢者が孤立、鬱だと問題視される)。
私としては、過去記事で何遍でも書いたように、散々人の世に交わって疲れる思いをした上に、何度も不登校から立ち直って、世俗的な野心を支えとして努力しても、全て虚しく終わってしまって5度目の不登校→小旅行もとい家出→引きこもりから、その点(経済・社会)では非常に非才なのだとヒキ生活を送る上で自覚するようになったわけで。
こういった経緯から、年齢差はあっても「若い頃に普通の社会生活を送っていた老人」とある程度通じ合い、私は10代で既に隠退すべき境遇にあるのだ。

結局、若年層の引きこもりは確かに感情面によるところから鬱傾向のままで引きこもりを継続していることも多いだろう。
だが、それらの普遍的な例と大きく異なった今を生きる私への「治療」とやらが、ありきたりな解説書如きで叶うものだと思ってはならないし、近頃の金儲け目当て(売文屋・拝金主義)の本など陳腐で、新刊に千ウン百円だしても最新鋭の研究成果や新鮮味を期待してはならない。
そもそも、今日の精神医療の学界などに進展は起こり得ない。

これらの道理を知らず、事実をも覚れない母親はとことん迷妄の人であると悲哀に思う。
「一元的な見方」の蒙を一番根強く抱えているのは私の母その人であろう。
私の引きこもり状態という一果に、普遍的な一因のみを求めて、その見誤った因に乗っ取った「治療」を施そうにも、当然その手段をもっては、私のありもしない「精神病」の「治療」など叶いもしないし、それでは母が直したがる「引きこもり」状態を「直す」ことなど当然叶わない。



幾度にも及ぶ啓蒙・諫言の軌跡を思うに、近頃はあまりしなくなりつつあるが、それでも態度だとかに私の超然とした雰囲気を漂わせるよう心がけている・・・これも感じてくれなそうだが。
私の論理というのは、世間の人が一元的にしか見ないことも、二元的あるいは多元に渡って思考を広げ、様々な観点から分析・精査し、適正な判断を見解を見出せる。
例えば、当メモ帳2015年6月3日の記事では「理と事」という類似且つ対極にもある概念を例にとって、整然とした思考・体系的な論理の姿を説いている。
同記事の追記事項にて、更に二元・多元の思考を構成する概念を示している。
思考や論理においては、実に狭まった一元的な見方に終えず、最低でも二元化し、必要あらば中庸の概念や特異な概念も混ぜ込んで、分別をしなければならない。
当該記事で幾つも示した概念というものの使い時は、日々思考を深めれば諸君でも自ずと見つかることだと思う。

判断基準を一元にとどめず、二元・多元と拡大することが適正の判断を得るポイントであるが、判断結果が「二分」というのもならない。
判断結果は、善悪や是非など、最低二つ分かたれるものだが、「二分」では絶対的に足りない。
例えば、人の賢愚を判定する際、「迷いがない人」というのは一見良いようであるが、単にこれだけだと無知・短絡によって迷わずいる人も"賢"の人となりかねない。
だからといって、小生の如く枝葉末節に囚われ、不必要に思い煩って、迷い続ける状態も問題である。
「迷わず潔く正しい決断を下せる者」を最上(1)とし、次に「迷って正しい(2)」 > 「迷わず誤る・迷って誤る(共に3)」と次第すれば、単なる「迷いの有無で賢愚二分」よりも、的確である。
この最上(1)にも、論理的な判断と直感的な判断に基づく者など、二元・多元に細分化できる。
多くの人間は、どれほどケースを集めても、判断結果を二分と一元にのみとどめる。
私は常に、そういった極度な二分思考に陥らないよう、公平に近づけた判断を行う。

その深い思考には言語化の必要性もある。
達観した末の思考を恒常的に活用するためにも、記事などにメモすることで叶うはずだ。
例えば、土の道路があるが、次第に車の交通量が増えた(思考の頻度が増える)ので綺麗に道路を塗装・整備をして(達観に至る)も、多くの車が走る(雑念が混じる)だとか、時間経過と共に荒廃・風化(失念・忘却)するなどで、必ず補修などする必要があるだろう。
道路に例えることに意義を持ち、それは今の私が正しい道を進んでいるとの確信であり、また研鑽の意志とは「道を行じる」というところにある。

この「道(どう)」の概念は、東洋の思想の根幹をなしている内の一つで、まさしく人生の指針を「道(みち)」になぞらえている。
それは神道あり仏道あり道教あり、儒教忠孝の道あり、何かの道理あり、外れた道あり・・・
今の私は専ら仏道を是とし、邁進せんとしている。
西洋には、「道(みち)」を用いた語句も無ければ、そうした発想にも欠いている(後日何となく"way"という単語を思い出した。手段としての道を指す点で同義)。



関連記事
2013年11月3日・・・「『社会復帰できた元引きこもり』を謳う人間の胡散臭さ
2015年2月11日・・・「社会のしがらみ『妄執』から深奥より解脱、涅槃。

↓書き場所に困った文言(幼稚じみているので見るのは推奨しない)
引きこもりの語を妄りに用いたりするのは、ネット上のみならず、リアルで出版されている書籍においても、よこしまな用例を見受ける。
「○○な考え方に引きこもって」という表現を母親が受けた某講座の冊子(6/10日記メモ)から見取ったのだが、こういったネガティブな表現にいちいち「引きこもり」の語を持ち出す理由が不可解だ。
悪しく用いたりするが、心理云々の講座の割に、配慮が何も感じられない。
どのような者が執筆し、誰の校正を受け、誰の許しを通してこんな低劣な講座の冊子が印刷され、流布してゆくのか非常に疑わしいものがあるが、当の母親も、その冊子に落書きで苦言を綴っていたりするなど、不適切な記述・謬見まみれの紛い物講座だと思えてならない。

冒頭にいう本などは、現代のマニュアル主義的で型にはめる陳腐な内容であり、少しの時間経過で内容が古くなる流行り廃りが激しく、没個性にして類書が多く、売文産業とも言える。



追記: 2015年10月末

今月は母親から突飛な干渉が一度あったり、別の話題からこういう話題に移されたことも一度あったが、いずれも「部屋の外に出られるのに顔を合わせないの何で?宅配の人(貪欲な母のエゴで頼まれた)も無理なの何で?対人恐怖なの?嫌悪なの?」と、迷妄の二分法を押し付けてきた。
このような語を弄すれば、体系的であるなどと思っているようだ。
時によって一定でないものを一緒くたに「恐怖か嫌悪か」と詰問することは、思考の浅さの故であろうが、一度その詭弁を質した前者の一度に対し、後者の一度で同じ問いをされた際には、その精神病理の本で学んだことをいちいちボロ出ししてきた。
そのような本は、あくまでも典型的な症例から演繹しているに過ぎないというのに、特異な存在である私にその型ではめようとするところ、母親は微塵も論理性が無く、息子への理解も無い。

なお、この問いに関する私の答えは「どちらか何てわからない」→「母: わかるでしょ?自分のことじゃん」→「どっちかなんて決まったものではない(これを言うだけではしつこく聞き返してくるだけ)」」→「母: どっちかなんて言えるでしょ!(のような??)」→「(敢えて言うなら)今のあなたには嫌悪であろうが、ずっと接触すれば恐怖になるかもしれないし、他所の人に嫌悪感は無いが、同じく接触が続けば恐怖に変わるかもしれない」と、まとまらない考えでこう伝えるしかない。
この後者の1度では納得した素振りもあったが、迷妄の質問をする母が心底満足する答えなど無かろう。


追記: 2016年10月2日

太っている人云々として原因と結果に関する考察の文章が確認されない。
太っている人、と反対の認識には「美女」が挙げられると思う。
「美女は3日で飽きる」という言葉を、額面通りに使う人はどのくらいいようか。
ここで、少し表面的な意味を取り上げて言葉の真実性考察しよう。

まず、一般的な意味としては「美女と付き合っても3日で飽きる」、換言して「容姿が悪いくらいが交際が長続きする」と解釈される。
しかし、原因とは一元でなく、一つの原因と別の原因、それらが何らかの形で組み合わさってようやく結果があり、この場合、単一の因子が「美女」、その結果が「3日で飽きる」とされる。
しかし、やはり、単一の因子である「美女」というだけで「3日付き合うと飽きてしまう」結果に至るはずもないことは、世間のカップルだとかアベックだとかを統計学的に分析すれば反証できる。
そして、先ほど言った通り、その単一の因子、一元的な原因のみが蓋然的・必然的に同一の結果に至るはずもないことは、世の道理であろう。
その美女がどのような性格を兼ね備え、あるいは欠如しているか?
また、その美女とどのような男性(付き合ったきっかけ・男性のスペックなど)が付き合い、どのような3日間(デートや性交渉など)を過ごしているか?
それらの複合的要因を排除して結果を語ることは詭弁であるが、世間は専ら、こういった見解ばかりを続けて論理的誤謬の自覚を持たない。
仏教徒は、そういった「原因」と「結果」のプロセスの過程に「縁」を見て物事の見解を示す。
面倒くさいことはない、これこそ進歩した人間の思考である。



2015年8月12日水曜日

食品や液体の熱と口内感覚の鈍磨

昔の記憶の中に、「お風呂の温度は39度」という歌詞を含んだ歌がある。
ポケモンの2003~04年頃のエンディングで流れていたもので、これを今も覚えているのは、そのシーンの映像と歌詞から受けた印象の強さにある。
小1~2ほどの当時でさえ、もう39度は適温~ぬるいように思えていたわけだから、映像中でキャラクターが顔を真っ赤にして飛び跳ねるシーンを見てしまうと「そんな熱くはないでしょ~」と、気に障りつつ突っ込んでいた。
※原曲名で検索する気持ちは起きない、またそのキャラが歌詞中の「39度の風呂」の熱さにその演出をしたかどうかは不明で、YouTubeなどに映像が上がっているとしても確認しない。

それから現在に至っても、その楽曲の曲名が含まれるサビのパートと、問題の歌詞のシーンばかりは記憶に残されており、時々思い出すことがある。
私自身、「なぜか覚えている」ものの代表格といえば、ドラえもんの漫画における「だんへいた らたっかつみ(記憶漏れ:うおゃちめう、アニメで同じ道具の回があったらどう再現されるのか?)」が挙げられるが、それはともかく、日々の食事で気を払う点が増えた。

手で10秒も触れられない温度の食べ物・飲み物(スープ類・お湯やお茶など)は、たとえ少量でも口にする前にしっかり冷ます必要性を強く意識する。
それは、私の3月24日日記メモにおける貼付写真をご覧になると、下の色が局所的に周囲と異なる箇所が2つ目立っていることでそう思えてくる。
これはそのメモ内に書かれるとおり、アツアツの麺をまともに冷まさずして急ぎ口に運んだため、このような火傷を負っている。
慣れると痛みも鈍くなるのだが、それは「感覚の鈍磨」そのものだ。



赤ちゃんに与える離乳食などは、しっかり冷ましてから与えるイメージが諸君にもあるはずだ。
イメージしやすく言うと、母親がスプーンに取ったお粥(リゾット)を「ふーふー」と冷ましてから与えてみるが、赤ちゃんが辛い顔をしたり吐き返せば、「あ、ごめんねぇあちゅかったね~」、「赤様ごめんなさい!」と言う光景があるかもしれない。
ここで「お風呂の温度」と関係のある話題となるが、小1の頃の私が適温~ぬるいと思っていた「39度のお風呂」も、赤ちゃんには熱く、落ち着いていられないレベルのものではないかと見られる。
毎日のように風呂に入る(張ったお湯に浸かる)生活をたった10年程度でも続けている内に、個人差もあるが多くの子供は40度辺りまで慣れてしまう。

風呂の設定温度と一口で言うにも、各家庭に備わった給湯器パネルであるとかの設定温度でまちまちかも(私的な憶測の域を過ぎないが)しれないし、築年数のある家によっては、風呂のための給湯器さえあってもパネルなどなく、普通の蛇口などでお湯を張ることもあるだろう(より古くは給湯器の構造から沸騰させたお湯が流れる場合もあり、それが悲惨な事故に)。
また、我が家の事情としては、給湯器パネル(Rinnaiの120Vシリーズを参照)が二つあって、一つが浴室に備わり、もう一つが台所に備わる2台体制であることは日記メモ6月1日に記録した通りだ。
パネルのスイッチを入れることで初めて温水を出せるようになる。
それぞれのパネルにそれぞれの設定(浴室の高温設定と台所のエコ設定)が付いて、スイッチの入れようでは、相互に異なる設定で影響し合ってしまうが、その問題は特に関係ない個人的な記録だし、記事の内容が紛らわしくなるので忘れて欲しい。
浴室に備わった方のパネルには、更に細かく浴室のシャワーやキッチンにまで通じる設定項目と、浴槽本体に排出するお湯の設定項目の2種類が設けられている。

浴槽本体に排出するお湯については、少なくとも4年以上風呂に入っていない(お湯に浸かっていない)私が知っていることや意見できることは何もない。
このパネルが指すシャワー設定39度でも、異様に熱い水(同パネルなら42度以上の設定に相当)が出てくることがあり、最近はシャワー排出量が控えめの時に多く感じる。
逆に少し前だと、控えめの排出量でお湯を沸かしたがらないようだったから、給湯器のシステムに強く疑問を持たざるを得ない。
また、季節によっ水の熱さが異なることを踏まえて、私が普段シャワーで使用する設定を記録すると、我が家設定で冬は39~40度、夏は38~39度。
別に温度を調節する「サーモスタット混合水栓」は常に最高位置に止めているが、パネルボタンをいじりたくない(操作音を立てたくないなど)場合は適宜ここで調節している。
上述の、39度設定における異様に熱い水が出やすくなった昨今は、こうして調節することが増えたわけだが、熱い水って私の感覚の問題なのか給湯器のシステムによるものか分からない。
このサーモ水栓という代物は、私の小1~2期あるいは物心付いたあたりにも住んでいた与野・浦和期のマンションやアパート(築20年ほどと30年超?)の風呂場にも設えられていたのだが、日本ではどれほど以前より普及していたのか、その疑問は置いておく。

今では4年以上風呂や温泉に入っていないとしても、前の家ではある程度入っていたわけで、記憶の中には柑橘系の炭酸ガス入浴剤の存在が大きい。
前の家における入浴状況もついでにここで記録したいが、入浴剤は父親がほとんどこれのみ選んでいたので特に書くことはもう無い。
当時の風呂でお湯を張る際の設定温度は・・・あまり記憶に無いのだが、40・41度を好み、まれに42度を選んだこともあっただろう。
ぬるめの温度について関心を持ったこともあるが、それは2009年以降テレビでぬるま湯の半身浴が取り上げられていた辺りだと考えられる。
小5のころは夏休みに広義の風呂さえ一週間入らなかったこともあって、学校で自慢したら(略)、中1以降は中2二学期末の不登校となるまで、毎日潔癖症のような気概で入っていた。
平日はほぼ一人きりなわけだから、綺麗な風呂に入りたい時は自分でよく掃除をしていた。
こっちの家はずいぶんと浴槽のアカか赤いアレとかが離れでも視認できるわけだが、母も弟も家で風呂に入らないのだろうか。



お湯というと、2013年以降味のついていないお湯(白湯とも言う)を飲む頻度が増えつつあるわけだが、これについても近頃、アツアツを無理に飲む必要が無いことを感じている。
部屋の電気ケトルでゴボゴボ沸騰するまで待つのは煮沸消毒のつもりだが、余程不安があるときでもなければ、白湯の為にその儀式を挙げる必要は無い。
よって近頃は60~80度ほどと見られるあたりで加熱を止める。
いつものムーミンカップはいくらか保温性を有するわけだが、沸騰したお湯をそのカップの5分目以上に注いだ場合、今の時期なら冷めるのは時間がかかる。
しっかり待たぬ内にスプーンに取ったお湯を半端に冷まして、やはり冷ましたりなくて、熱さに悶えるとまで言わずとも焦ることは多くある。
敢えて上記でカップから時期までの細かい状況設定を設けたが、季節を問わず量を問わず、お湯の熱さに困惑することは多いのだ。

どうも、その温度のお湯をたかが少量飲んだくらいでは平気に思うかもしれないが、近頃の私だからこそ以前より不安視を強めている。
ただ一時の感覚として口内で熱い、歯にしみそう、喉が焼けそう、この程度に落ち着かせて何度でも繰り返す、それではやはり「慣れ」という名の「感覚の鈍磨」が進んでしまうのだ。
乳児~幼児期の食道系における温度感覚は、人体の他の部位の皮膚に通る神経と大きな齟齬は無いようであったことは既述の文章から知られよう。
今であっても、口に含んでは温かみの感じるカップのお湯を指先で触れてみると、10秒触れるのは辛いようで、口の感覚と指先の感覚では著しく隔たりが感じられる。
そんなお湯は「煮え湯」であり、それを受けた喉や胃にとっては、口で感じた温かみ・ぬるさと比べてより熱く感じるし、実際に熱の害も起きていることだろう。
深く探れば、胸焼けにも似た不快感を捉えられるし、熱いものは、家庭医学の噂に聞くところでは、食道がんや胃がんの原因にも繋がりやすい。

生物学的にも、他の動物は、肉にしても植物にしても熱して食べる習慣は当然無く、熱いものは刺激物であるから、進化論の上で刺激物に慣れつつある人間であっても、過度な領域に寄ったものは摂食の継続を避ける必要がある。
ましてや刺激物に適応する必要は無いだろう、結局人類が超人に進むとしても人体の多くを構成する「水」の沸点以上の温度環境で身が保つことは、クマムシでないのだから有り得ない。
私には疎遠な学問分野の話をしすぎると、浅識が露見しそうなので、ここで休めておく。
熱いお湯が胃と喉に与える影響については、口内でお湯の熱を取ってから飲めばいくらか緩和され・・・これは多くの人が実際に意識してもしなくてもやっていることと思うが、口内というものは体の中で一番、触れた熱に適応できるよう作られているかもしれない。



なお、冷たい飲み物を勢いよく飲むと、喉から胃にかけて鮮烈に液体の通りを感じることと思う。
消化器系がコーティングされたような感覚がある。
これに気付いたのが14~16歳ころのことだが、近頃は冷たい飲み物を流し込むという行為自体なかったので、意識する機会は無かった。
水道水はお湯で飲むか冷やさず飲む場合が多く、氷水で飲むにも、ヒエヒエとした水は歯にしみそうなので、流し込む真似は行っていない。
この行為がどのような影響をもたらすかは定かでないが、誰でも何かのイラストで、顔の付いた胃が目を閉じて腕を組んででバツを示したり手を伸ばして拒否を示すなどを見たことがあるはずだ。
バツや拒否を示されたものは、酒・タバコなどもあろうが、アイスや冷たい飲み物に向けられることもある。
悪い影響が幾らかあることは確かである。
私自身、朝起きて水道水を流し込むこともあり、冷えている水ほど好ましいとも思っているが、結局出したてのぬるいもの(6月以降始まった習慣だから冬の場合は存じない)を飲んでいる。
また、アイスは長いこと口にしていなく、関係ない話となるがアイス食べたい。



追記:2015年9月3日
私はこの夏いよいよお湯を飲む頻度が増えたようだ。
ノートPCや自室調理換気の為にエアコンを掛ける中で、自分としては自室エアコンの最もぬるい設定温度(30度)でも寒く感じる場合があり、温かい飲み物も悪くは無いばかりか、多く別方向で効果を期待して飲んでいる。
あるいは、当記事に語られる要因と汗かきを厭う点があいまって、ぬるめで一気飲みもよくある。
一気飲みすることは、狭窄傾向の喉を拡げる訓練でもあるが、気道と食道を弁(喉頭蓋)が弁ぜずして肺に流れ込み肺に水が溜まること、でなくともその誤嚥を防ぐべく悶絶することは恐れる。

ところで「肺に水が溜まる」と俗に言われるこれは、いかなるプロセスでその状態に至るのかといえば、上述の如く物理的に気道を経て肺に流れ込み、患者のケース次第ではその自覚無きままに進行して重症に陥るのか。
これは一端として例に挙げるのみで、他にも考えられることはある。
※"肺水腫 - Wikipedia"参照、血管に関する原因(ほぼ高齢者)が主要であり、後はよほどの外的ダメージ(薬物・感電等)に起因し、私が水の多飲にあっても憂えなくてよいが、一点残る疑問は、その治療に水を排出すべく利尿剤等というと、私の排尿が鈍れば起き得なくはない。

以上の如く、私は夏にあってもお湯を多めに取り、例えば牛乳を弟・母と同じ量を与えられるとしても、計画的にシリアルで消費していき、余る分はお楽しみ。
同じ量のシリアルが与えられる弟は牛乳を飲み水の代わりに多く飲み、母はどうも健康食品のみならず、今夏からアイスコーヒー(カフェオレ)で多量に消費しているようだが、それによって母は一番牛乳の消費が遅かったのに今では一番速くなっている。
元々この私よりも牛乳の消費が少ない母だったし、6月頃は俄かに調整豆乳を色々買って飲んでいたが、にわか豆乳もにわカフェオレも共に、にわかウイスキー(2014年末~今年未明)や、2015年7月以降のにわか糖類(22日メモ)と変わらない。
質素倹約の私と異なり、貪りを感じてならない。



オマケ、「なぜか覚えていて検索候補(サジェスト)が出るフレーズ」集→「お風呂の温度は39度」、「うおゃちめう だんへいた らたっかつみ」、「弁護士さんは金持ちだ~命が惜しくて逃げ出した~」